テレビが家庭に普及し始めた1950年代、アメリカはこのニューメディアに夢と希望を見いだしていた。
なかんずく、週に40本以上も放映されていたというクイズ番組は人々の羨望の的。誰もが一、攫千金のアメリカンドリームに心を躍らせた。
しかしテレビが巨大なメディアに急成長するにつれ、当然のごとく資本主義的倫理が横行し、スポンサー主導で番組が製作されるようになる。
映画『クイズ・ショウ』(1994年)は、1956年9月より放送が開始されたクイズ番組『21』で、3ヶ月に渡って勝ち抜いたチャンピオンのチャールズ・ヴァン・ドーレンが、実は番組の不正に関与していたという実際のスキャンダル事件を下敷きにしている。
しかし監督を務めたロバート・レッドフォードの関心は、現代社会とメディアの関係にあるのではない。彼の視線はアメリカのイノセンスの喪失、モラルの失墜に注がれている。
立法管理小委員会の捜査官ディック(ロブ・モロー)は、最後までテレビ業界の体質改善を最優先課題とし、ある意味ではテレビ的倫理の犠牲者といえるチャーリー・ヴァン・ドーレン(レイフ・ファインズ)の召還を、最後まで躊躇する。
しかし最終的にチャーリーは委員会に赴き、自らが犯した罪を告白し、失ったモラルを回復しようと努めるのだ。だが、彼を法廷の場に連れ出してイノセンスの復権を願ったのは、ほかならぬ監督のロバート・レッドフォード自身だったんではないか?
例えばシドニー・ルメットやオリバー・ストーンであれば、今日的な社会問題に根ざしたメディア論に映画が振り切れるんだろうが、レッドフォードはあくまでヴァン・ドーレン家の内実にアングルを絞り、ヒューマン・ドラマとして物語を構築してしまう。
おそらく彼は、自分自身でチャールズ・ヴァン・ドーレンを演じたかったのだ。年齢的にそれは叶わぬ夢になったが、もし実現していたなら、かつて彼が体現してきたアメリカン・ヒーローが地に落ち、やがて偉大なる帰還を果たすという、いかにもリベラリストのレッドフォード好みな作品になったに違いない。もちろん、それは単なる自己顕示でしかないのだが。
ジョン・タトゥーロ、ロブ・モロウ、レイフ・ファインズの三人の男たちによるトライアングル・ドラマが展開されると思いきや、バランスを崩してまでレイフ・ファインズが映画を牽引する形になったのは、彼の中にレッドフォード自身を見いだしたからだ。
資本主義的決定が原則のマスメディアに警鐘を鳴らすことよりも、きっとそれは大切なことだったんである。
- 原題/Quiz Show
- 製作年/1994年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/133分
- 監督/ロバート・レッドフォード
- 製作/ロバート・レッドフォード、マイケル・ジェイコブス、ジュリアン・クレイニン、マイケル・ノジク
- 製作総指揮/フレデリック・ゾロ、リチャード・ドレイファス、ジュディス・ジェイムズ
- 原作/リチャード・N・グッドウィン
- 脚本/ポール・アタナシオ
- 撮影/ミハエル・バルハウス
- 音楽/マーク・アイシャム
- 美術/ジョン・ハットマン
- 編集/ステュー・リンダー
- 衣装/キャシー・オレア
- ジョン・タトゥーロ
- ロブ・モロウ
- レイフ・ファインズ
- ポール・スコフィールド
- デイヴィッド・ペイマー
- ハンク・アザリア
- クリストファー・マクドナルド
- エリザベス・ウィルソン
- アラン・リッチ
- ミラ・ソルヴィーノ
- ジョージ・マーティン
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