『ドラゴン・タトゥーの女』(2011)
映画考察・解説・レビュー
『ドラゴン・タトゥーの女』(原題:The Girl with the Dragon Tattoo/2011年)は、スティーグ・ラーソンのベストセラー小説をデヴィッド・フィンチャーがハリウッドでリメイクしたミステリー・スリラーである。孤高の天才ハッカー、リスベット・サランデルと記者ミカエル・ブルムクヴィストが、閉ざされた名家に潜む連続殺人事件の真相を追う。
北欧ノワールがハリウッドへ──“冷血の物語”の輸入
スウェーデンから突如として現れた『ミレニアム』三部作は、欧州ミステリーの再生を告げる狼煙だった。著者スティーグ・ラーソンは第一作の出版を待たず急逝したが、その社会派的骨格と緻密な犯罪描写は全世界で旋風を巻き起こした。映画版三部作も自国で大ヒットし、やがてハリウッドがその成功を見逃すはずもなく、リメイク企画が動き出す。
『ノーカントリー』(2007年)でアカデミー作品賞を手にした名プロデューサー、スコット・ルーディンが主導し、監督に選ばれたのはデヴィッド・フィンチャー。
主演はダニエル・クレイグ。冷徹な知性と暴力の匂いが交錯する組み合わせである。選ばれた時点で、このリメイクは単なる翻訳ではなく、“構造の再設計”としての映画化になることが約束されていた。
フィンチャー映画を観る喜びのひとつは、常にそのオープニングにある。『ドラゴン・タトゥーの女』の冒頭は、Yeah Yeah Yeahsのカレン・Oが絶叫する『移民の歌』のカヴァーに乗せて、黒い液体が人体のシルエットを包み込む、異様に蠱惑的なタイトル映像だ。
トレント・レズナーとアッティカス・ロスの電子的サウンドが、北欧的寒冷さとハリウッド的熱量を融合させ、観客を“痛覚の快楽”へと誘う。
ティム・ミラーが手がけたビジュアルは、まるでリスベットの潜在意識を抽出したかのようなグロテスクな夢。粘液、火花、金属、そして皮膚。フィンチャーはここで既に“物語の前に映像がある”という自らの信条を明示している。
彼にとって映画とは、心理ではなく、質感と構造によって語られる“人工知能的現実”なのだ。
サスペンスの崩壊
しかし、オープニングの陶酔が去ると、次第に映画のリズムが乱れていく。理由は明白だ。編集の呼吸が悪い。ミカエル(ダニエル・クレイグ)とリスベット(ルーニー・マーラ)の物語が平行して進む構造は、理論的には見事だが、編集の切り替えが感情の流れを分断してしまう。
ヘンリック(クリストファー・プラマー)から依頼を受けるミカエルの場面に、唐突にリスベットの復讐シークエンスが挿入される。観客は二つの異なる緊張の波を同時に処理できず、サスペンスの蓄積が断ち切られる。
これは単なる“テンポの問題”ではなく、フィンチャーの持ち味である“構造的サディズム”が過剰に作用した結果だ。彼は観客を支配しようとするあまり、感情の呼吸まで制御してしまった。
真犯人の屋敷に潜入するミカエルと、資料室で調査を続けるリスベット。その二つの動線がカットバックで交差するクライマックスは、理屈の上では最も高まるはずの瞬間だ。だが、現実にはまったく緊張が生まれない。
リスベットがコーヒーを買うという無駄な一挿入、逃走を試みるミカエルの滑稽な失敗──これらが致命的にサスペンスの流れを削ぐ。観客の意識は“何が起きるか”ではなく、“なぜそう編集したのか”へと向かってしまう。フィンチャーはここで、自身の強みである“緊張の建築”を、構造美への過信によって自壊させている。
リスベットという反逆の偶像
とはいえ、リスベットというキャラクターの存在感は圧倒的だ。彼女はサイバースペースを支配する亡霊であり、同時に男性社会への復讐装置として機能する。ピアスとタトゥーに覆われた身体は、フェミニズムの主張ではなく“暴力によって得られた自由”の象徴である。
ルーニー・マーラの演技は、その“他者としての存在”を完璧に体現している。無表情と沈黙の中に宿る微細な感情。彼女のまなざしがスクリーンを貫くたび、観客はこの物語が単なる殺人事件ではなく、“社会というシステムそのものの告発”であることを理解する。
『ドラゴン・タトゥーの女』は、フィンチャー作品の中でも最も“編集”に支配された映画である。だが、その精密さが裏目に出た。彼の作品が常に持っていた緊張感──“何が起こるかわからない”という不確定性──が、構成の硬直によって失われている。
それでも、画面の隅々まで張り巡らされた緻密な光の粒子、俳優たちの無機質な演技、北欧的空気の冷たさ。これらのディテールは、やはりフィンチャーにしか撮れない。
サスペンスとしての完成度には疑問符がつくが、映像の質と冷徹な演出眼は、彼がいまだ唯一無二の“構築する映画作家”であることを証明している。
『ドラゴン・タトゥーの女』は、フィンチャーの代表作にはならない。だが、この映画に刻まれた“誤差”こそが、彼の作家性の核心に触れている。構造を極めるあまり、感情が摩耗していく──その矛盾をも内包することで、作品はフィンチャー自身のポートレートとなる。
冷たく、硬質で、完璧すぎるがゆえに歪んだ映画。だからこそ、美しい。
- 原題/The Girl with the Dragon Tattoo
- 製作年/2011年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/158分
- ジャンル/サスペンス、ミステリー
- 監督/デヴィッド・フィンチャー
- 脚本/スティーヴン・ザイリアン
- 製作/スコット・ルーディン、オーレ・ソンドベルイ、ソーレン・スタルモス、セアン・チャフィン
- 製作総指揮/スティーヴン・ザイリアン、ミーケル・バレン、アンニ・ファウルビー・フェルナンデス
- 原作/スティーグ・ラーソン
- 撮影/ジェフ・クローネンウェス
- 音楽/トレント・レズナー、アッティカス・ロス
- 編集/カーク・バクスター、アンガス・ウォール
- 美術/ドナルド・グレアム・バート
- 衣装/トリッシュ・サマーヴィル
- ダニエル・クレイグ
- ルーニー・マーラ
- クリストファー・プラマー
- スティーヴン・バーコフ
- ステラン・スカルスガルド
- ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン
- ベント・カールソン
- ロビン・ライト
- ゴラン・ヴィシュニック
- ジェラルディン・ジェームズ
- ジョエリー・リチャードソン
- インガ・ランドグレー
- ペル・マイヤーバーグ
- マッツ・アンデルソン
- エヴァ・フリトヨフソン
- ドナルド・サムター
- エロディ・ユン
- ジョセフィン・スプランド
- エンベス・デイヴィッツ
- ウルフ・フリバーグ
- セブン(1995年/アメリカ)
- ファイト・クラブ(1999年/アメリカ)
- ファイト・クラブ(1999年/アメリカ)
- パニック・ルーム(2002年/アメリカ)
- ベンジャミン・バトン 数奇な人生(2008年/アメリカ)
- ドラゴン・タトゥーの女(2011年/アメリカ)
- ゴーン・ガール(2014年/アメリカ)
- Mank マンク(2020年/アメリカ)
- ドラゴン・タトゥーの女(2011年/アメリカ)
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