『東京ゴッドファーザーズ』(2003年/今敏)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)は、世界的な評価を受ける今敏監督が、ジョン・フォード監督の西部劇『三人の名付親』(1948年)を着想源に、舞台を現代の新宿へと大胆に読み替えて描いたロードムービー。クリスマスイブの夜、ゴミ捨て場で一人の赤ん坊を拾った自称・元競輪選手のギン(江守徹)、元ドラァグクイーンのハナ(梅垣義明)、家出少女のミユキ(岡本綾)という、社会の片隅で生きるホームレス三人組が、名付け親(ゴッドファーザー)となって親探しの旅に出る。第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞し、海外でも高い評価を得た。
- 第58回毎日映画コンクール:アニメーション映画賞
- 第77回キネマ旬報:日本映画ベスト・テン第3位(読者選出)
アニメーションにおける芝居の極致
『パーフェクトブルー』(1997年)、『千年女優』(2002年)、『パプリカ』(2006年)など、国内外で評価の高いアニメーションを世に送り出し続けている今敏監督だが、僕は恥ずかしながら彼の作品は全て未見だったので、今回一念発起して“今敏童貞”を切ることを決意した。
特に深い理由もなくチョイスしたのが『東京ゴッドファーザーズ』(2003年)だったんだが、まさかこれほどまでにコテコテの「人情モノ」とは思いませんでした。
ほろ苦くも哀しくて可笑しい山田洋次的ドタバタ劇なのに、作画クオリティーは異常なまでにハイレベル(まあマッドハウス制作だからね)という、ヘンにミスマッチな映画なんである。
今敏はかつて、「現実と虚構の境界線が崩壊していく悪夢」を映像化する天才として名を馳せていた。しかし本作における彼は、そのトリッキーな視覚的ギミックを封印し、極めて泥臭い地に足のついたドラマへと舵を切っている。
彼は当時の製作ノートのなかで、「芝居そのものを見せ物に出来まいか、という発想からこのストーリーを組み立てていった」と語っている。
なるほど、確かにこの作品の基本的なフォーマットは、クリスマスの新宿のゴミ捨て場で拾った赤ん坊(清子と命名)を実の親に返そうと、3人のホームレスが奮闘する悲喜劇だ。
自称元競輪選手(実はただの借金まみれの自転車屋の親父)のギンちゃん、元ドラッグ・クイーンで母性に飢えまくっているハナちゃん、そして親を刺して家出中の女子高生ミユキ。
この社会の底辺からさらにドロップアウトしたような彼らの、ちょっと間の抜けた悪戦苦闘ぶりに笑い、彼らの一途で真摯な想いに共感し、そして見事なまでに泣かされてしまう。
特筆すべきは、キャラクターの顔。アニメの美少女キャラ特有のツルッとした無機質な肌ではなく、ハナちゃんの無精髭の跡や、ギンちゃんの深く刻まれたシワ、寒さに赤らむ鼻先。
マッドハウスの凄腕アニメーターたちが総力を挙げて描き出したのは、記号としてのアニメキャラではなく、骨と肉と体温を持った人間の顔なのだ。
彼らが泣き、わめき、新宿の街を全力で疾走する姿は、まさに今敏が目指した「芝居そのものの見せ物」として完璧に成立している。
失われた皮膚感覚の奪還
言うまでもなく、アニメーションという表現媒体の最大の武器は、動きのダイナミズムにある。
現実世界では絶対に成立し得ないパースペクティブや重力無視のアクションを二次元の世界に導入することによって、観客の網膜に直接的な視覚的興奮を覚えさせることにこそ有効なメディアなのだ。
しかし、日本アニメ界のご意見番こと押井守は、かつて「最近はアニメーションの中で、登場人物が演技できるようになってきましたね?」というインタビュアーの問いかけに対し、極めて鋭い指摘をしている。
「実写の方がどんどん後退していって、宮さん(宮崎駿)は、アニメーションで情緒的な存在を描こうとしている。実写とアニメーションが、微妙に逆転しているんです」
押井が語るこの「逆転現象」は、現代の映像文化の奇妙な歪みを突いている。同じインタビューのなかで、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、
『踊る大捜査線』の登場人物が汗をかかないことに驚いた。これは感覚を失った若者たちの映画だ
と発言していることも非常に興味深い。
実写映画の登場人物たちがスタイリッシュさを求めて生身の汗や匂いを喪失していく一方で、アニメーションのキャラクターたちが泥水にまみれ、鼻水を垂らしながら必死に息をしている。
今敏がこの『東京ゴッドファーザーズ』で強烈に目指したのは、まさに現代の実写映画で急速に失われつつある皮膚感覚の回復であり、身体感覚の奪還に他ならない。
新宿のビル風の冷たさ、ホームレスの段ボールハウスの湿気、そして温かいおにぎりを頬張ったときの幸福感。鬱陶しいぐらいのベタベタな人情喜劇は、その肉体的な説得力を獲得するための必然的なフォーマットであり、ジャパニメーションが単なる「動く絵」を超えて新たなネクスト・レベルに到達したことの歴史的証明でもある。
奇跡の連鎖が紡ぐ、聖夜の神話
この物語は、ジョン・フォードの『三人の名付親』(1948年)を下敷きにしつつ、フランク・キャプラ的な「奇跡の連鎖」を東京というコンクリート・ジャングルに持ち込んだ現代のクリスマス・キャロルだ。
ご都合主義スレスレのあり得ない偶然が次々と重なり合うプロットも、今敏の計算し尽くされた演出と圧倒的な作画力の前では、「映画の神様が起こした奇跡」として観客を力技でねじ伏せてしまう。
個人的に、このテの「浪花節的なお涙頂戴のイイ話」がどうにも好きくないっちゅー捻くれた性格の持ち主であることは一旦置いといて、実写映画の領分に真正面から殴り込みをかけ、見事にアニメーションの可能性を拡張してみせた今敏の果敢な目論見に対し、僕は万雷の拍手を送るものであります。
参考文献・出典
- 千年女優(2001年/日本)
- 東京ゴッドファーザーズ(2003年/日本)