『ターミネーター』シリーズを継承した、ジョナサン・モストウの実直な仕事ぶり
科学信奉主義に対する文明批判という、ハードなSF観に支えられた『ターミネーター』(1984年)、『ターミネーター2』(1991年)は、確かにハリウッド映画の系譜にその名を連ねる、偉大なフィルムだった。
ロボットの叛乱という手塚治虫の『メトロポリス』にも近似した骨太な世界観、視覚的に優れた工学的メカデザイン、そして血生臭いハードアクション。
「未来は我々の手で変えられる」という強いメッセージを残し、ジェームズ・キャメロンはシリーズに幕を下ろす(ただしユニバーサル・スタジオのアトラクション用に製作された『T2 3-D』は除く)。
だがマーケットは依然『ターミネーター』の続編を要請した。需要があれば素直に従うのがハリウッドの基本原則。前作から10年以上の時を経て、『ターミネーター3』のプロジェクトは遂に始動する。
しかし『ターミネーター2』で燃え尽きたジェームズ・キャメロンは監督を辞退し、麻薬・アルコール中毒でラリパッパだったジョン・コナー役のエドワード・ファーロング、キャメロンの妻という地位におさまったサラ・コナー役のリンダ・ハミルトンも相次いで降板。
音楽もブラッド・フィーデルからマルコ・ベルトラミに交替させられてしまった。キャメロン組が一掃された完全アウェー状態で、55歳のシュワちゃんは三たびターミネーター役を演じることになったんである。
こりゃ完全に負け戦かと思いきや、意外や意外。『U-571』(2000年)や『ブレーキ・ダウン』(1997年)を手がけ、今回『ターミネーター3』の監督に白羽の矢が立ったジョナサン・モストウの演出は、実直な仕事ぶり。大型クレーン車と消防車というメガトン級のカーチェイスなんぞ、なかなかお目にかかれない迫力だ。
アーウィン・ウィンクラー監督の『ザ・インターネット』(1995年)、デヴィッド・フィンチャー監督の『ゲーム』(1997年)などのシナリオを担当したジョン・ブランカトー&マイケル・フェリスの脚本も、終末感を漂わせつつも、小気味よいテンポとそこはかとなく挿入されたユーモアで、物語をグイグイと引っ張って行く。
「未来は我々の手で変えられる」というメッセージで締めくくられたはずの『ターミネーター』シリーズは、しかしながら「ジャッジメント・デイは結局未来に引き延ばされただけだ」というミもフタもない展開をみせる。
人類滅亡へのカウントダウンという終末論的物語は、ジェームズ・キャメロンであれば我々に警鐘を鳴らすエピソードに腐心することだろうが、ジョナサン・モストウは110分という尺のなかで、「あくまで終末論的世界観は、物語を転がすためのフックなり」と割り切り、スピーディー&タイトなテンポを心がけている。
そのぶん、スカイネットの起源にまつわる根源的問題がオザナリになっているのだが、そんなの関係なし!思いっきりエンターテインメントに徹している。
『ターミネーター3』では、敵役のターミネーターT-X役を身長180センチを誇るモデル出身のクリスタナ・ローケンが演じているが、このシリーズでは珍しくセクシャリティーに自覚的なキャラクターとして設定されている。
男性の気を引くべくバストアップしてみたり、シュワちゃんと猛烈な立ち回りを繰り広げるさなか、鏡に映る自分の容姿にウットリしてみたり。シュワルツェネッガーの股間を掴んで投げ飛ばすシーンなんぞ、その典型だろう。
それは獣医として穏やかな生活を望み、慎ましやかな性生活を想起させるケイト・ブリュースター役のクレア・デインズと鮮やかな対照を成す。
そのコントラストゆえに、彼女がT-Xに「Bitch!」と叫ぶシーンには、クレア・デインズのキャラクターの転移が見てとれる。
ちなみにクリスタナ・ローケン自身、バイセクシャルであることを公言している。オトコにもオンナにも容赦なく襲いかかるT-X役には、彼女はうってつけだったということでしょうか。
- 原題/Terminator 3: Rise of the Machines
- 製作年/2003年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/110分
- 監督/ジョナサン・モストウ
- 製作/マリオ・カサール、ハル・リーバーマン、ジョエル・B・マイケルズ、ア
- ドリュー・G・ヴァイナ、コリン・ウィルソン
- 脚本/ジョン・ブランカトー、マイケル・フェリス
- 撮影/ドン・バージェス
- 編集/ニール・トラヴィス、ニコラス・デ・トス
- 音楽/マルコ・ベルトラミ
- アーノルド・シュワルツェネッガー
- ニック・スタール
- クレア・デインズ
- クリスタナ・ローケン
- デヴィッド・アンドリュース
- マーク・ファミリエッティ
- アール・ボーエン
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