大友克洋の本質は、その破壊衝動にあると思う。
マンガコラムニスト・夏目房ノ介の分析によれば、かの手塚治虫に「マンガは記号である」と言及せしめたのは、マンガシーンに大友が登場したかららしいが、マンガの神様すら舌を巻くほど緻密に描きこまれたビル群が、音を立てて崩れていくその瞬間のために、彼は物語を構築する。破壊の快感、その恍惚。
「破壊」というモチーフは、大友の名を一躍コミックシーンに知らしめた傑作『童夢』、今やサイバーパンクの古典となった『AKIRA』を例に挙げるまでもなく一貫して用いられているが、それは映画というメディアに主戦場を移しても変わらない。
オムニバス映画『MEMORIES』の第二話に当たる「最臭兵器」(大友は原作・脚本・キャラ設定を担当)、87歳の老人が機械化する抱腹絶倒のコメディー『老人Z』(大友は原作・脚本を担当)もまた、破壊衝動に突き動かされた作品だった。
大友克洋が満を持して上梓した『スチームボーイ』も例外ではない。ニューウェーヴともてはやされ、SFの旗手として頭角を現した大友克洋だが、産業革命時代のロンドンを舞台にしたこの正統派冒険活劇においても、破壊衝動はより深化の一途をたどっている。
巨大なスチーム城が万博の会場に姿を現し、混乱を招き、崩壊していくシークエンスは、要は電気が蒸気に変わっただけ。エディがスチーム城と一体化してしまうシーンなんぞ、もろにサイバーパンクだ。
『スチームボーイ』は一言でいうなら、壮大な親子喧嘩の映画である。
脚本を担当した村井さだゆきの発言を引用するなら、18世紀末から19世紀末頃の「パトロンの娯楽のための発明をしてきた」ロイド、19世紀から20世紀の「発明の力」を担うエディ、その両端で揺れ動くレイという構図でストーリーは展開する。ホトホト困った爺ちゃんと困った親父だ。つまりレイは、これからの科学の在り方を担わさせられている存在なのである。
だからレイは、物語を通して、ず~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っと逡巡している。
先に「正統派冒険活劇『スチームボーイ』は…」と書いたが、ホント言うとこの映画は正統派冒険活劇になりえていないとワシ思うねん。だって、主人公が結末の分からない未来に向かって右往左往している冒険活劇なんて、カタルシスねーじゃん!!
現代科学論の比喩的表現としてそれは成立するけど、子供たちは喜ばないわな。大友は「次作は『スチームガール』です」とのたまわっているが、たぶん僕は観に行かないです。…いや、観に行くかも。行くだろうな。行くに違いない。
なんだ、やっぱ俺って大友好きなんじゃん。
- 製作年/2004年
- 製作国/日本
- 上映時間/126分
- 監督/大友克洋
- 演出/高木真司
- 原案/大友克洋
- 脚本/大友克洋、村井さだゆき
- 美術監督/木村真二
- 編集/瀬山武司
- 音楽/スティーヴ・ジャブロンスキー
- 音響監督/百瀬慶一
- 総作画監督/外丸達也
- 鈴木杏
- 小西真奈美
- 中村嘉葎雄
- 津嘉山正種
- 児玉清
- 沢村一樹
- 斉藤暁
- 寺島進
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