『スチームボーイ』(2004年/大友克洋)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『スチームボーイ』(2004年)は、『AKIRA』で世界を震撼させた大友克洋監督が、長年にわたる構想と圧倒的な作画力で完成させた空前のスチームパンク・アニメーション。19世紀、産業革命期のイギリスを舞台に、発明一家に生まれた天才少年レイ(鈴木杏)が、祖父ロイド(中村嘉葎雄)から託された超高圧蒸気を封じ込めた謎の球体スチームボールを巡り、強大な財団や父エディ(津嘉山正種)との壮絶な争いに巻き込まれていく。
記号を粉砕した緻密なる都市
マンガコラムニストの夏目房ノ介は、手塚治虫が自らの表現を「マンガは記号である」と評するに至った理由を、大友克洋が登場したからではないか、と指摘している。
パースペクティブを完全に支配した圧倒的な画力と、現実の都市と見紛うばかりのハイパーリアルな背景描写は、それまでの日本マンガの文法を根底から粉砕してしまうほどの強烈なインパクトを放っていた。
大友はなぜ病的なまでに緻密な都市空間を描き、ビル群の窓一つひとつ、配管の一本一本までを執拗に描き込んだのか?その答えは明白。手塚すら舌を巻いた緻密な建造物たちはすべて、音を立てて美しく崩れ去る瞬間のためにこそ存在している。破壊の快感、その倒錯的な恍惚こそが、物語を駆動させる最大の原動力なのだ。
この「破壊」という絶対的なモチーフは、団地の壁に球状のクレーターを穿った『童夢』(1983年)や、ネオ東京を文字通り光の海に沈めたサイバーパンクの歴史的古典『AKIRA』(1982〜1990年)においても顕著。
彼が主戦場を映画に移行してからも、その姿勢は決してブレることはない。大友が原作・脚本・キャラクターデザインを担当した『MEMORIES』(1995年)第二話「最臭兵器」でも、異臭によって都市機能が崩壊し、『老人Z』(1991年)でも、寝たきり老人が機械化して大暴走。制御不能な「破壊衝動」に突き動かされている。
大友克洋にとって、高度に発達したテクノロジーの集積(都市や機械)とは、人間のエゴによって肥大化し、やがてその重みに耐えきれずに自重で崩壊していくべき、バベルの塔なのだろう。
瓦礫の飛散、コンクリートの粉塵、そして爆炎の渦は、他のどんなアニメーターにも真似できない美しさを伴っている。破壊がもたらすカタルシス。我々観客は、その美しすぎる終末の光景に、何度でも魂を焼かれ、酔いしれるのである。
蒸気仕掛けの『AKIRA』と巨大な親子喧嘩
製作期間実に9年、総製作費24億円という日本アニメーション史に残る途方もないリソースを投じて完成させた『スチームボーイ』(2004年)においても、その破壊衝動は衰えるどころか、さらに深化の一途をたどっている。
本作の舞台は1851年、産業革命の熱気に沸くイギリス・ロンドン。第一回万国博覧会を目前に控えたこの街で、主人公の少年レイ(鈴木杏)が、超高圧の蒸気エネルギーを封じ込めた金属球「スチームボール」をめぐり、巨大財閥オハラ財団の陰謀に巻き込まれていく。
舞台が19世紀のスチームパンクの世界になろうとも、大友がやっていることは本質的に『AKIRA』と全く同じ。超巨大な兵器要塞スチーム城が万博会場のど真ん中にズゴゴゴゴと姿を現し、街のインフラを破壊し尽くす。それは、エネルギーの出力元が電気(サイバー)から蒸気(スチーム)に変わっただけの、純度100%の大友流サイバーパンク的破壊なのだ!
父親エディが、暴走するスチーム城の巨大な歯車やパイプ群と一体化し、狂気の中で機械を操り続ける場面も、『AKIRA』の鉄雄が肉体を暴走させて機械と融合した姿を想起させる。
脚本を手がけた村井さだゆきの発言を引用するなら、『スチームボーイ』は「国家や科学の未来を巻き込んだ、超絶壮大な三世代の親子喧嘩」である。
18世紀末から19世紀にかけての、「純粋な知的好奇心のための発明」を信奉する祖父・ロイド。19世紀から20世紀にかけての、軍産複合体や資本主義と結びついた「強大な力としての発明」を推進する父・エディ。そして、その両極端なイデオロギーの間で板挟みになるレイ。
これは単なるアクションの対立構造ではなく、近代から現代へと至る科学技術と人類の倫理という巨大なテーマを、ある一家の愛憎劇へと落とし込んだ、重層的なドラマなのである。
科学の倫理と美しき崩壊の彼方へ
祖父ロイドの「科学は人を幸せにするためにある」という清貧な理想主義と、父エディの「科学の力こそが人類を進歩(支配)させる」という野心的な資本主義。
ホトホト困った狂信的な爺ちゃんと、困り果てたマッドサイエンティストの親父を持ってしまった主人公レイは、図らずも「これからの科学技術の在り方」という重すぎる十字架を背負わされた存在である。
だからこそ彼は、単純明快なヒーローになることができない。科学の未来を背負わされる存在として、物語の最初から最後まで、ず~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っと悩み、立ち止まり、右往左往し、逡巡し続けるのだ。
この主人公の果てしない迷走が、分かりやすいカタルシスを欠如させてしまっているのは事実だ。あまりにも煮え切らない態度と、ひたすらに瓦礫が降り注ぐだけの長すぎる終盤の展開に、イライラすることもある。この映画は、正統派冒険活劇としては不完全であり、歪な構造を抱えている。
ラストでスチーム城は氷漬けになって崩壊するものの、科学がもたらす兵器化の脅威が根本的に解決されたわけではない。レイは最終的に明確な答えを出せないまま、ただ生き延びることだけを選択し、その先の答えは完全に未来へと委ねられてしまう。
だが僕は、このカタルシスの欠如こそが大友克洋の強烈な作家性であり、誠実さであると評価したい。科学技術というものは、決して善か悪かで割り切れるような単純なものではないからだ。
本作は、痛快な活劇の皮を被りながら、その内部で「技術と倫理」「破壊と創造」の二重性を冷徹に描き出した、現代科学論の重厚な寓話として解釈すべきなのではないか。
結局のところ、どんなに物語のテンポに難があろうとも、どんなに主人公が迷走しようとも、僕はやはり、大友克洋の圧倒的な筆致で描き出される「都市と機械の狂気的な破壊」と、「科学と人間の交錯」の映像美に、どうしようもなく酔いしれてしまうのだ。
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