『インビジブル』(2000)
映画考察・解説・レビュー
『インビジブル』(原題:Hollow Man/2000年)は、ポール・バーホーベン監督がH・G・ウェルズ『透明人間』を現代的にリメイクしたサスペンスSF。アメリカの軍事研究施設で、天才科学者セバスチャン・ケイン(ケビン・ベーコン)は生物の透明化に成功するが、自らを被験者にした実験によって不可逆的な変化を遂げる。姿を消した彼は次第に理性を失い、チームの同僚たちに対して暴力的衝動を向けはじめる。極秘プロジェクトの閉鎖が迫る中、透明人間となった科学者の暴走が研究所を恐怖に陥れる。
透明化の快楽──科学と欲望の融合
スーパーマンが滑空中、ビルの屋上で股を広げて寝そべっている全裸のワンダーウーマンを発見。スーパーマンはこれ幸いと、光の速さで急降下し、ワンダーウーマンを強制ファックして飛び去る。
実はその時、彼女は透明人間と性交中だったのだが、スーパーマンのスーパーファックが速すぎて、何が起こったのか分からない。コトを終えた透明人間はただ一言、「よく理由が分からないが、ケツが痛い!」とのたまう。
……こんなサイテーの極みとも思えるド下ネタ・ジョークを、映画『インビジブル』(2000年)の主人公である天才科学者セバスチャン(ケヴィン・ベーコン)は「面白いだろ? 笑えよ」と研究チームの同僚に言い放つ。
実際このジョークが面白いと思えなければ、悪趣味テイストで塗りたくられた『インビジブル』は、単なる巨額予算をかけたB級エロSFでしかない。
しかし!かのH・G・ウェルズの古典小説『透明人間』を、ここまでIQの低いバカ映画に仕上げられる手腕、僕は逆に感動を抑えきれません。
これまで何度も透明人間ネタは映像化されてきたが、この『インビジブル』が画期的だったのは、その「消えるプロセス」を解剖学的なリアリティで描き切った点にある。
担当したのはソニー・ピクチャーズ・イメージワークス。視覚効果スーパーバイザーのスコット・E・アンダーソン率いるチームは、この映画のために、人体の「皮膚→筋肉→内臓→骨格→透明」というレイヤーごとの消失プロセスを完全にデジタルで構築した。
劇中、セバスチャンが透明化するシーケンスに、僕は思わず「人体の不思議展」を思い出してしまった。皮膚が透け、剥き出しの筋肉が蠢き、血管が脈打ち、やがて骨格だけが残り、それすらも虚空へと消え失せる。
特筆すべきは、「見えないものをどう見せるか」という逆説的な映像表現。水、煙、血飛沫。透明人間に干渉する流体を表現するために、当時の最先端技術であるボリューム・レンダリングが駆使された。
プールでの格闘シーンや、スプリンクラーの水滴が透明な輪郭を浮かび上がらせるシーンは、今見ても色あせない映像マジックである。当時の総製作費は約9,500万ドル(約100億円以上)。その大半が、この「見えない男」を描くための視覚効果と、セットの水没処理に費やされたのだ。
透明人間=モンスターではなく、人間そのもの
軍事目的で始動した国家のプロジェクト・チームは、ゴリラの透明化と復元に成功。リーダーであるセバスチャンはチームの反対を押し切って、自らを被験者に人体実験を敢行……と、物語はここから快調なテンポで「倫理の崩壊」へと突き進む。
透明人間となったアラフォー男は何をするものぞ? モチロン、エロいことっしょ! という訳で、セバスチャンは同僚女子の乳を揉みしだいたり、隣のアパートの部屋に不法侵入してエロ女子を襲ったり、己のリビドーに忠実すぎるセクハラ行為に及ぶ。
本家H・G・ウェルズ先生が観たら激高間違いなしなれど、これぞ我らがポール・バーホーベン節。彼は『ロボコップ』(1987年)で人間性を失った機械を描き、『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)でファシズム化した青春を笑い飛ばした。
そして本作『インビジブル』で描くのは、「姿が見えなくなれば、正義の人も悪人も同じように振る舞うだろう」という、プラトン『国家』に登場する「ギュゲスの指輪」の現代的実践。ここでは透明化という技術が、人類の知的進歩ではなく、むき出しの欲望を解放する“免罪符”として機能しているのだ。
バーホーベンが長年繰り返してきた“性と暴力の連結”が、ここでは笑いと悪趣味を伴って炸裂している。「見えないこと」への恐怖ではなく、「見られないこと」による全能感と暴走。これこそが本作の核心だ。
透明人間から元に戻れなくなったセバスチャンはいら立ちを深め、遂にはプロジェクトの中止を回避するために、自分を知るメンバー全員の殺害を目論む。
閉鎖された地下研究所内での「姿なき殺人鬼 VS 人間」という図式は、まんまリドリー・スコットの『エイリアン』(1979年)なれど、要所要所でバストアップのサービス・カットがぬかりなくインサートされている(さすがはポール・バーホーベン!)。
このバカ展開には明確な意図がある。バーホーベンにとって、モンスターとは異形の存在ではなく、倫理という皮膚を剥がれた人間そのもの。セバスチャンは、透明になったから狂ったのではない。元々内包していたナルシシズムと傲慢さが、透明化によって可視化(逆説的だが)されたのだ。
彼は「科学の名を借りた神」気取りであり、その暴走は、技術を手にした人類が陥るピットフォール。ゆえに『インビジブル』は、単なる“透明人間の暴走パニック”ではなく、“社会的ルールを剥奪された男の自由の末路”を描いた寓話なのだ。
実は制作当時、バーホーベン監督はもっと心理的なサスペンス、あるいは「透明化していく科学者の孤独」を描こうとしていたという。しかし、出資元であるソニー・ピクチャーズが求めたのは、分かりやすいホラーアクションだった。
結果として映画は後半、典型的なスラッシャー映画へと舵を切るが、監督はその制約の中で最大限の皮肉を込めて、この見えない暴力を描ききったのである。
バーホーベン的バカ映画美学──快楽と皮肉の結晶
サイコなファック野郎を演じさせたら右に出る者はいないケヴィン・ベーコンは、まさにセバスチャン役にドハマリで、面白さが20%ほどアップしている(俺統計)。
撮影現場では、全身を青や黒のボディスーツで包み、コンタクトレンズで視界を奪われながらも、鬼気迫る演技を披露したという。彼の声と気配の演技があったからこそ、CGの透明人間は生々しい実在感を得たのだ。
ベーコン自身、「役者として最も過酷な仕事の一つだった」と後に語っているが、その苦労は報われている。透明人間の邪悪さが際立つほど、彼が実体を持っていた時の嫌味な笑顔が脳裏に焼き付いて離れないからだ。
ヒロインのエリザベス・シューは、豊乳をユサユサと揺らしてムダにエロスを発動し、ジョシュ・ブローリンは「いい奴だけどどこか抜けているマッチョガイ」という、『グーニーズ』(1985年)以降から変わらぬ安心感のあるキャラを演じている。スタッフもサイコーならキャストもサイコー。
しかし、公開当時の批評家たちの反応は冷ややかなものだった。米国の批評サイトRotten Tomatoesでの支持率は27%(2025年時点)と低迷し、著名な批評家ロジャー・イーバートに至っては「技術は素晴らしいが、魂が空っぽ(Hollow)だ」と酷評した。
だが、その「空っぽさ」こそが、本作の魅力ではないか。高尚なテーマや感動的な人間ドラマを排除し、徹底的に「覗き見趣味」と「暴力衝動」に振り切った潔さ。それこそが、バーホーベンが描きたかった人間の本性なのだから。
『インビジブル』は、単なる“B級エロSF”を超えた、バーホーベン流の皮肉に満ちた“人間讃歌(あるいは人間嘲笑)”である。暴力もセックスも、笑いも倫理も、すべてを同列に配置することで、映画は道徳を茶化し、観客の欲望を笑い飛ばす鏡になる。
バーホーベンにとって映画とは、社会が隠してきた“見られたくないもの”をわざと見せる芸術だ。『インビジブル』は文字通り、その極北といえる。
- 監督/ポール・バーホーベン
- 脚本/アンドリュー・W・マーロウ
- 製作/アラン・マーシャル、ダグラス・ウィック
- 製作総指揮/マリオン・ローゼンバーグ
- 撮影/ヨスト・ヴァカーノ
- 音楽/ジェリー・ゴールドスミス
- グレート・ウォリアーズ/欲望の剣(1985年/アメリカ、オランダ、スペイン)
- インビジブル(2000年/アメリカ)
- ベネデッタ(2021年/フランス)
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