『E.T.』(1982年/スティーヴン・スピルバーグ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『E.T.』(1982年)は、スティーヴン・スピルバーグが自身の幼少期の孤独を投影し、子供たちの純粋な好奇心と異星人との種を超えた友情を叙情的に描き出したファンタジー映画。カリフォルニアの郊外に住む少年エリオット(ヘンリー・トーマス)が、森の中に置き去りにされた宇宙人(E.T.)を匿い、兄や妹ガーティ(ドリュー・バリモア)と共に、大人たちの追跡を逃れて故郷の星へ帰そうとする。当時の世界興行収入記録を塗り替え、現在も世代を超えて語り継がれるべき作品となった。
- 第55回アカデミー賞:音響効果編集賞、視覚効果賞、作曲賞、録音賞
- 1982年ロサンゼルス映画批評家協会賞:作品賞、監督賞
- 1982年ボストン映画批評家協会賞:作品賞、監督賞、撮影賞
- 1982年ナショナル・ボード・オブ・レビュー:監督賞、作品賞トップ10
- 第7回日本アカデミー賞:最優秀外国作品賞
- 第57回キネマ旬報(外国映画):第1位、外国映画監督賞、外国映画ベスト・テン第1位(読者選出)、外国映画監督賞(読者選出)
- 1982年度カイエ・デュ・シネマ:第4位
子供と未知へのアクセス装置
スティーヴン・スピルバーグは、キャリア初期から一貫して「子供」と「未知なるもの」をハッピーセットのように提供し続けてきた作家だ。
そこでは子供は、単に大人に守られるべきひ弱な存在などではなく、世界の向こう側へあっさりログインできる特権的なアクセスキーとして機能している。
『ジョーズ』(1975年)でサメの理不尽なテイスティングの犠牲になる少年アレックス・キントナーの場面は、その最たるものだろう。あのビーチのシークエンスは、海水浴客の平和な日常に、突然“死”というバグが割り込んでくる構造になっている。
犠牲になるのが女性でも老人でもなく“少年”であることによって、観客は世界の残酷さを一気に突きつけられる。安全であるはずのリゾートと、制御不能な自然の暴力。その境界線上に、子供の小さな身体がポンと置かれてしまうのだ。
『未知との遭遇』(1977年)では、その構図がさらに進化する。そこでは、異星人とのファーストコンタクトを成立させるのは、お堅い官僚でもマッチョな軍人でもなく、子供特有の好奇心と開かれた感性を持つ人々だ。
小さな少年バリーが、チカチカ光るUFOのド派手なイルミネーションにホイホイ誘われて家の外へ出ていく場面は、恐怖以上に「超巨大なおもちゃ」へのワクワク感が勝っている。彼はスピルバーグ自身が信じる「子供の無防備さ=世界へのオープンな窓口」というイメージを代弁しているのだ。
こうした初期作を踏まえて『E.T.』(1982年)を眺めると、彼がどれほど「永遠のキッズ宣言」にフルベットしていたかが見えてくる。大人の論理から全力で距離を取り、リアル・ピーター・パンであろうとしたスピルバーグ。
白いスピルバーグというラベルは、光と驚異とイノセンスに全振りしていた時期の彼のスタンスを示す、わかりやすい略号と言っていいだろう。
『E.T.』が照らし出した到達点と、その限界
『E.T.』は、その白いスピルバーグの思想がもっとも純度高く、キラキラに結晶化した作品だ。カメラのアイ・レベルは徹底して子供の背丈に固定され、大人は基本的に足元だけが映し出され、画面外へ追いやられる。そして、子供たちの世界だけがくっきりと輪郭を持ち始める。
「E.T.は子供にしか見えないんだ」というエリオット少年の台詞は、まさにそのシステム仕様の口頭確認だ。母親は目の前にいるエイリアンをガン無視し、その存在を“認識”できるのは子供たちだけ。
ここでスピルバーグは、「大人 VS 子供」というありがちな対立軸を、単なるジェネレーションギャップではなく、世界の見え方の違いとして映画組み込んでいる。
問題は、この徹底っぷりがそのまま作品の限界(あるいはズルさ)にもなっているところだ。月をバックに自転車が空を飛ぶあの完璧すぎるショットは、のちに自身の製作会社アンブリンのロゴとしてちゃっかり再利用されており、記憶に焼き付けるための反復というプロフェッショナルな計算高さが透けて見える。
「あざとい」は「巧い」の裏返しであり、「巧い」は「エグいくらい分かりやすい」とほぼ同義だ。『E.T.』の凄まじい分かりやすさは、世界中の観客を巻き込むうえでチート級の武器だった。
一方で、その分かりやすさは、エリオットの内側にしか存在しないはずの私的な神秘を、最大公約数的な「全米が泣いた」的フォーマットへ自動翻訳してしまう作用も持っている。
ここで振り返りたいのが、『ジョーズ』や『未知との遭遇』との絶妙な温度差である。『ジョーズ』における少年の死は、観客にとって理不尽極まりない「バッドエンドガチャ」として突き刺さるし、『未知との遭遇』のラストも「家族よりUFO選ぶんかい!」という、どこか倫理的にザラッとした後味を残していた。
だが『E.T.』では、そのトゲが見事にヤスリがけされている。レーガン政権下のアメリカが求めた「家族の再生」や「安心・安全な郊外」という空気感と、グローバル市場で爆売れする“普遍的メッセージ”を両立させるため、物語から剥き出しの異物感は綺麗に削ぎ落とされた。
結果としてこの作品は、スピルバーグが信じてきた子供の神秘性を、もっとも華やかに祝祭しつつ、同時にもっとも気持ちよく消費し尽くしてしまった一本になっている。
『太陽の帝国』が開けた、黒いスピルバーグの扉
そんな“白いスピルバーグ”のカンスト状態から数年後に撮られたのが、『太陽の帝国』(1987年)。J・G・バラードの自伝的小説を原作にしたこの作品は、第二次世界大戦期の上海で暮らす少年ジェイミー(クリスチャン・ベイル)が、戦争によって両親と引き離され、日本軍の収容所でサバイバルを強いられる物語である。
ここでも主人公は少年であり、「子供の目で世界を見つめる」という彼のお家芸は継続している。しかし、『E.T.』との決定的な違いは、世界の残酷さを“魔法のような奇跡”で都合よく上書き保存しない点にある。
ジェイミーは過酷な環境で生き残るためのスキルを身につけ、図太く成長していくが、その過程で無垢な子供時代という二度とダウンロードできない大切なデータを破損してしまってもいる。
批評家たちは本作を、「子供時代の無垢さだけを描いてきたと批判されがちなスピルバーグが、そのアンチテーゼとして繰り出したカウンターパンチ」と位置づけた。
収容所の風景はしばしばスペクタクルとして美しく撮られるが、その美しさは現実逃避のツールではなく、少年の眼差しが狂った現実をどう誤読し、メンタルを保つためのフィルターとして機能しているかを見せつけてくる。
同時にここには、「大人が子供を守りきれない世界」という、よりハードなモチーフも現れる。郊外のマイホームで守られていたエリオットとは違い、ジェイミーは大人たちの無力さやエゴイズムのど真ん中に放り出されるのだ。
この作品を境に、白いスピルバーグのメッキは剥がれ始めている。それでも、撮影監督はまだアレン・ダヴィオであり、画面はどこかしら輝度の高い光に満ちている。
子供の眼差しと戦争の残酷さ。この水と油をどうブレンドするか──その葛藤が、のちの“黒いスピルバーグ”への明確なフラグとして立っている。
カミンスキー以後の光と影
白い/黒いスピルバーグを語るうえで、絶対に外せないのが撮影監督ヤヌス・カミンスキーの参入だ。90年代に入って彼と出会い、『シンドラーのリスト』(1993年)で初めてタッグを組む。
その容赦のないモノクロームの映像は、永遠のピーター・パンを気取ってきた監督が、歴史のドン引きするような暗部と真正面から殴り合うために選んだ、新しい光のプレイスタイルだった。
『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』(1998年)以降、カミンスキーとのコラボはスピルバーグ作品の標準装備となり、白い時代のふんわりしたファンタジー照明とは真逆の、バキバキにコントラストの効いた、ザラついたビジュアルが定着していく。
そこには、「もう魔法の粉では飛べない」と悟った作家の、光とのつきあい方の完全なアップデートが刻まれている。
その意味で、『E.T.』は単に子供映画の金字塔というだけでなく、スピルバーグ史における眩しさのカンスト地点であり、同時にこれ以上は進めない行き止まりでもあったのだ。
『太陽の帝国』でその限界に気づき、『フック』(1991年)というおっさんになったピーター・パンの物語を通じて、白いスピルバーグからの卒業を宣言する。そこから先に、『シンドラーのリスト』や『ミュンヘン』(2005年)といった、ヘヴィー級の黒いスピルバーグ時代が待ち受けている。
振り返ってみれば、『ジョーズ』で子供をサメの理不尽な餌食とし、『未知との遭遇』で父親をあっさり宇宙へ飛ばし、『E.T.』で異星人との友情を世界共通のハートウォーミング商品へと翻訳し、『太陽の帝国』で戦争が子供のメンタルをゴリゴリ削る様を描いた。一連の作品はすべて、「子供が世界とどう接続されるか」という果てしないトライ&エラーでもあった。
かつて彼にとって子供は、未知への特権的なアクセスキーだったが、『E.T.』でそのキーはあまりにも優秀に機能しすぎて、世界中を泣かせるための高火力なエモーション供給装置になってしまった。
だからこそ彼は、カミンスキーという新しい武器を手に入れ、今度は大人として歴史の闇を直視するというハードモードなステージへ進まざるを得なかったのだ。
『E.T.』は、そんな彼の長いゲーム実況のなかで、ひときわ輝くセーブポイントとして存在している。子供の神秘を盛大に祝いながら、その魔法をきっちり使い切ってしまった映画。
だからこそこの作品は、ただのノスタルジー消費で終わらせず、白い/黒いという二つのモードを行き来しながら、何度でも擦り倒す価値があるのだ。
参考文献・出典
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 脚本/メリッサ・マシスン
- 製作/スティーヴン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ
- 撮影/アレン・ダヴィオー
- 音楽/ジョン・ウィリアムズ
- 編集/キャロル・リトルトン
- 美術/ジェームズ・D・ビッセル、フランク・マーシャル
- SFX/デニス・ミューレン
- 激突!(1971年/アメリカ)
- ジョーズ(1975年/アメリカ)
- 未知との遭遇(1977年/アメリカ)
- レイダース/失われたアーク《聖櫃》(1981年/アメリカ)
- E.T.(1982年/アメリカ)
- オールウェイズ(1989年/アメリカ)
- ジュラシック・パーク(1993年/アメリカ)
- シンドラーのリスト(1993年/アメリカ)
- ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク(1997年/アメリカ)
- プライベート・ライアン(1998年/アメリカ)
- アミスタッド(1998年/アメリカ)
- A.I.(2001年/アメリカ)
- キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2002年/アメリカ)
- マイノリティ・リポート(2002年/アメリカ)
- ターミナル(2004年/アメリカ)
- 宇宙戦争(2005年/アメリカ)
- ミュンヘン(2005年/アメリカ)
- インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(2008年/アメリカ)
- 戦火の馬(2011年/アメリカ)
- タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密(2011年/アメリカ)
- リンカーン(2012年/アメリカ)
- レディ・プレイヤー1(2018年/アメリカ)
- ウエスト・サイド・ストーリー(2021年/アメリカ)
- フェイブルマンズ(2022年/アメリカ)
- ディスクロージャー・デイ(2026年/アメリカ)
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