『ゆれる』(2006)
映画考察・解説・レビュー
『ゆれる』(2006年)は、西川美和監督が、オダギリジョーと香川照之を主演に迎えて描く心理サスペンス。地方で家業のガソリンスタンドを継ぐ兄・稔(香川照之)と、東京で写真家として成功した弟・猛(オダギリジョー)の再会は、幼なじみの智恵子(真木よう子)を交えた渓流での事故によって一変する。稔が殺人容疑で逮捕されたことで、兄弟のあいだに積み重なっていた嫉妬と劣等感が静かに噴き上がり、吊り橋を境にした“記憶の食い違い”が真実を曖昧にしていく。倫理と感情の揺らぎが観客自身の判断を揺さぶる、緊張感に満ちた一作。
「曖昧さ」を演出するという試み
『ゆれる』(2006年)について、西川美和監督は「人間関係のもろさや危うさ、記憶のあいまいさなど抽象的なものをテーマにしたかった」と語っている。
しかし、映画というメディアはあらゆる要素が具象化される形式だ。カメラは曖昧さを許さない。だからこそ、「曖昧」を描くためには、明確な演出の精度と構造的計算が必要となる。
西川はこの難題を、主観の配置とサスペンス構造によって解決した。事実を提示するのではなく、解釈の揺らぎそのものを物語の駆動力にする。観客は、真実を追うのではなく、“ゆらめく認識”の中に取り込まれていく。
田舎でガソリンスタンドを継いだ兄・稔(香川照之)と、東京で写真家として成功した弟・猛(オダギリジョー)。ふたりの間には、人生の座標を決定づける“境界線”が存在する。それが、渓流にかかる吊り橋だ。
稔はその向こう側に踏み出せない臆病者として描かれ、猛は都会へと抜け出し、自らの意志で世界を獲得した人物として描かれる。だが、西川はこの二項対立を単純化しない。吊り橋の上で起きる悲劇は、兄弟それぞれの視点で“異なる真実”として語られる。
稔は偶発的な事故を主張し、猛は殺意を疑う。そして観客は、どの証言も完全には信じられないまま、虚実の狭間で足場を失う。吊り橋は、彼らを分かつだけでなく、記憶と倫理をも分断する象徴なのだ。
“羅生門的構造”の現代的継承
映画の中で提示されるのは、三つの異なる「事実」である。
《1》稔の証言では、恐怖に駆られて智恵子(真木よう子)を突き倒してしまった結果、事故が起こる。
《2》猛の証言では、稔が逆上し、彼女を意図的に突き落とす。
《3》映像の挿入シーンでは、稔が智恵子の手を掴もうとしたが支えきれず、彼女は落下してしまう。
どれが真実かは明示されない。しかし、“稔の腕の傷”という物理的痕跡だけが、唯一の客観的事実として残される。観客はそれを手がかりに真相を推理しようとするが、物語はすぐにその確信を裏切る。
なぜなら、記憶と証言がいずれも信頼に足るものではないからだ。ここにおいて『ゆれる』は、真実を探るサスペンスではなく、真実を構成する「意識の揺らぎ」そのものを描く心理劇へと変貌する。
この構造は、黒澤明の『羅生門』(1950年)における多層的真実の再演として読むことができる。『羅生門』が「語りの不確実性」を通して人間の本質的な欺瞞を露呈したように、『ゆれる』もまた、自己の内面に潜む虚偽を暴く。
だが、西川のアプローチはより繊細で、倫理的な領域に踏み込む。彼女は「誰が嘘をついているか」ではなく、「なぜ嘘をつかざるを得ないのか」を問う。
稔の偽証、猛の裏切り、智恵子の沈黙。それらすべてが、人間が他者との関係を維持するために必要とする“ゆらぎ”として描かれる。
真実はただ一つではなく、関係の数だけ存在する。虚構と記憶、罪と愛、兄弟という鏡像関係――そのすべてが、“ゆれる”という一語に凝縮されている。
言葉が映像を裏切る瞬間
猛が兄を告発する理由もまた多義的だ。彼は兄を救おうとしたのか、それとも自分の潔白を守ろうとしたのか。稔が言い放つ「お前は犯罪者の弟になりたくないだけなんだろう」という一言は、血縁という関係性の根底を崩壊させる。
ここで問われているのは、善悪や真偽ではない。むしろ、人が他者と関わることの不可能性そのものである。兄弟という最も近しい他者を完全に理解できないという事実。それが『ゆれる』の本質的な不安だ。
映画は最終的に、法廷でも倫理でも解消されない“関係の不確実性”だけを残して幕を閉じる。観客は、誰が正しいのかではなく、「関係とは何か」という問いに晒される。
ただし、西川の演出は最後の一歩で“理性”に回収される。幼少期の映像を観る猛が、出所した稔に会いに行くラストシーン――「あの吊り橋はまだかかっているのだろうか」というモノローグは、あまりに説明的で、これまでの曖昧さを無化してしまう。
観客に委ねられていた解釈の余地が、監督自身の言葉によって閉じられてしまったのだ。おそらく西川は、物語の倫理的責任を自ら引き受けようとしたのだろう。
しかし、その誠実さこそが、作品の“ゆらぎ”を止めてしまった。もしこの映画が本当に“曖昧さ”を信じていたなら、吊り橋は永遠に架かったまま、誰の記憶の中にも渡られぬままで終わるべきだったのではないか。
![ゆれる/西川美和[DVD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/61Luxow3rYL._AC_SL1000_-e1758888756276.jpg)