蜷川実花ワールド全開、しかし内容は凡庸。パンクの皮をかぶった保守映画
『ヘルタースケルター』(2012年)を映画化すると聞いたとき、真っ先に思ったのは時代錯誤な作品になりやしないか、ということだった。
岡崎京子は’80年代消費社会に颯爽と登場したカリスマ漫画家だったが、彼女の作品があまりにも時代性とリンクしていたがために、今読むとバブリー華やかかりし頃の「歴史の教科書」という感じがぬぐえない。
マスメディアが虚像を創り上げ、それを一方的に消費者が享受するという’80年代的タームを、2012年現在の視点としてどうアップデートさせるのか?これが最大のポイントだったハズなのだ。
しかしながら蜷川実花に、そんな問題意識なんぞサラサラなし。彼女の青春時代に愛読した漫画を、キラキラと輝いていたあの時代を、ただカメラに写し取るだけでオッケーだったんである。
ソーシャルメディアが敷衍し、もはや発信者と受信者の境界線すら曖昧な現在にあって、主人公のりりこはミステリアスな神秘性に包まれた圧倒的スターとして現れる。“会いに行けるアイドル”AKB48が全盛の2012年にあって、りりこはいまだに’80年代を身に纏った“時代錯誤的”存在なのだ。
結局のところ『ヘルタースケルター』は、沢尻エリカという稀代のスキャンダラス女優を使うということだけで一点突破しちゃったような、完全イベント型映画である。
キャッチコピーにある通り、「見たいものを見せてあげる」ことを期待すりゃいい訳だ。じゃあ、我々が沢尻エリカに期待しているものって何だろうか?見たいものって何だろうか?
むろんハダカだ、濃厚なカラミだ!!となる訳で、初っ端から窪塚洋介と後背位ファックで乳房も露わになるんだが、サービスカットはこれぐらい。あとはりりこの躁鬱と歩調を合わせるかのように、アッパー&ダウナーのリフレインがひたすら続くだけ。
刺激的なビジュアルに彩られた蜷川実花ワールドは全開なのに、沢尻エリカはこれ以上ないくらいに女優根性を発揮しているのに、この退屈さは何なのだろう?
『ヘルタースケルター』は、パンクの皮をかぶった保守映画だ。映倫が眼を丸くするようなファックシーンが盛りだくさん!という見せ物映画に徹している訳でもなく、沢尻エリカに「別に」の一言を言わせて彼女の疑似ドキュメンタリーにしている訳でもない。
蜷川実花フォトビジュアルの延長線上にあるだけで、この映画には何の驚きも用意されていないのだ。
- 製作年/2012年
- 製作国/日本
- 上映時間/127分
- 監督/蜷川実花
- 脚本/金子ありさ
- 原作/岡崎京子
- プロデューサー/宇田充、甘木モリオ
- 撮影/相馬大輔
- 照明/佐藤浩太
- 美術/小泉博康、ENZO
- 録音/阿部茂
- 編集/森下博昭
- 沢尻エリカ
- 大森南朋
- 寺島しのぶ
- 綾野剛
- 水原希子
- 新井浩文
- 鈴木杏
- 寺島進
- 哀川翔
- 住吉真理子
- 窪塚洋介
- 原田美枝子
- 桃井かおり
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