勝手にしやがれ/ジャン・リュック・ゴダール

勝手にしやがれ [Blu-ray]

ゴダールが軽やかに描く、B級ハリウッド犯罪映画へのオマージュ

映画というものは「グリフィスがつくって、ゴダールが壊した」んだそうである。

セルゲイ・エイゼンシュタインが実践し、D・W・グリフィスが確立したモンタージュ理論は、古典映画文法の基礎であり、そのスタイルは今でもハリウッド映画に脈々と受け継がれている。

しかしヌーヴェルヴァーグの旗手であったゴダールは、それまでの表現スタイルを覆して、次々と革新的な映画を発表しまくった。

まったくゴダールというヤッカイな代物は、映画青年なら一度は体験する、通過儀礼のようなもんである。ゴダールというハシカにかかった者は一日中でもゴダールについて熱く語りたくなるだろうし、かからなかった者は目を白黒させて、「あのー、どこが面白かったのデスカ?」と自問自答することだろう。一般的に言えば、ゴダール映画の印象は次のようなものである。

  1. 話がよく分からない。
  2. カット割りが何か変。
  3. 登場人物の会話が難しい(急にランボーの詩を引用したりする)。
  4. 音楽の使い方がおかしい。
  5. 主人公がラストで死ぬ。
  6. でもお洒落。

ゴダールの記念すべき長篇第一作、『勝手にしやがれ』(1959年)はすでにこれらの要素をあまねく満たしていた。ストーリーの流れをブチ切ってしまうような唐突なジャンプカット、自然光を取り入れた撮影スタイル、もったいぶった形而上学的トーク。

大学一年生の時に初めてこの映画で「ゴダール体験」を果たした僕には、チンプンカンプンであった。既存の映画文法を逸脱したスタイルに、僕はすっかり不安になってしまった。

村上龍とか坂本龍一とか蓮實重彦とか、頭のいい人は皆ベタホメじゃん。ゴダールが分からないなんて、バカ扱いされかねないぞ。意を決して、僕は博学なインテリである先輩に尋ねたものだ。

「あのー、ゴダールって何かよく分かんないんですけど…」
「坂本龍一はね、ゴダールはダヴのリミックスの感覚だって言っているね」
「ははあ。でも映画の面白さがどこにあるのかサッパリなんですが…」
「ゴダールはね、要は映画界のポスト・モダンなんだよね」
「…つまりどういうコトですか?」

まるで禅問答である。だがそんな僕のゴダール映画に対する眼を見開かせてくれたのが、某音楽評論家の「映画のように音楽を観て、音楽のように映画を聴く」というお言葉であった。

僕はゴダールへのアプローチをまるっきり変えてみた。真正面から映画に向き合うのではなく、まるで環境ビデオを観ているかのようなお気軽感覚&流し見感覚で、ゴダールと対峙してみたのである。

すると彼の映画は面白いように気持ちよく感情に入ってきた。驚くべき浸透性であった。感覚を研ぎすませ。そうすれば、ゴダールは向こうからやってくる。

『勝手にしやがれ』はゴダールによる、B級ハリウッド犯罪映画へのオマージュ作品である。ヤクザ者の主人公と女・暴力と金に彩られたハリウッドの典型的クライム・ムービーを、ゴダールは軽やかな青春映画にしてしまった。

フランソワ・トリュフォーが新聞の三面記事からシノシプスに起こした原案も、ラウル・クタールの手持ちカメラによる即興撮影も、スピーディーなカッティングも、ジーン・セバーグのくったくのない裏切りも、全てがゴダールが内包している“映画”自身である。

何ものにも従属されないスタイルは、何と自由で軽やかなのだろう。既成を破壊する快感に勝るものはない。

DATA
  • 原題/A Bout De Souffle
  • 製作年/1959年
  • 製作国/フランス
  • 上映時間/95分
STAFF
  • 監督/ジャン・リュック・ゴダール
  • 脚本/ジャン・リュック・ゴダール
  • 原案/フランソワ・トリュフォー
  • 技術協力/クロード・シャブロル
  • 製作/ジョルジュ・ド・ボールガール
  • 撮影/ラウール・クタール
  • 編集/セシル・ドキュジス
  • 録音/ジャック・モモン
  • 音楽/マルシャル・ソラール
CAST
  • ジャン・ポール・ベルモンド
  • ジーン・セバーグ
  • アンリ=ジャック・ユエ
  • ジャン=ピエール・メルヴィル
  • ダニエル・ブーランジェ
  • ジャン・リュック・ゴダール

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