アート・リンゼイが紡ぎあげた「金属的禁欲系ボサノバ」の最高到達点
多くのリスナーがそうだと思うが、僕もアート・リンゼイの名前は坂本龍一や矢野顕子とのコラボレーションで知った。
『The Geisha Girls Show 炎のおっさんアワ-』(1995年)のM-5『ノメソタケ~Minha Geisha』にも衝撃を受けたが、特に彼を強く意識しだしたのは、教授がプロデュースした中谷美紀『食物連鎖』(1996年)のラストナンバーを飾る『sorriso escuro』である。
漆黒の宇宙をたゆたうような、催眠術的楽曲。悪魔に魅入られたかのように、中谷美紀のウィスパーボイスが僕の頭を反芻する…。ジョアン・ジルベルトよりもアントニオ・カルロス・ジョビンよりも早く、僕はアート・リンゼイによってボサノバと邂逅した。
アート・リンゼイの音楽には、禁欲的な恍惚感が詰まっている。歌詞はエロエロなんだが、その高揚感が抑制されている感じなのだ。
もともと50年代にリオ・デ・ジャネイロで産まれたボサノバとは、熱くて陽気で能天気なイメージのブラジリアン・ミュージックとは異なり、避暑地的な涼しさを感じさせる新しい音楽の波だった。
しかしアート・リンゼイの奏でるボサノバは、「涼しい」を通り越して「冷たい」。クールで金属的な質感がある。長い間僕は、この質感はどうやって生成されたのか疑問を持っていたのだが、最近彼のバイオグラフィーをみて納得した。
1945年 リンゼイ坊や、ニューヨークにて誕生。
1948~1975年 宣教師であった両親の仕事の関係で、ブラジルで少年期を過ごす。
1976年 アメリカに帰国。
1978年 ノイズ・パンク・グループ「DNA」を結成。
謎は…謎はすべて解けた!!何とアート・リンゼイのご両親は宣教師だったんですねー。どこか倫理的で内省的な音楽世界は血として受け継がれ、まさしく彼のバンド名でもある「DNA」レベルで息づいていたのだ。
近年アート・リンゼイの体温はますます下がり、それはまるで氷点下のごとし。2002年に発表されたアルバム『Invoke』は、打ち込みのトラックとアート・リンゼイの蚊の鳴くようなボーカルが見事に調和した、「金属的禁欲系ボサノバ」の最高到達点である。『Illuminated』は特に傑出した名曲と断言しよう。
実は、僕はアート・リンゼイに会ったことがある。ニューヨークに留学していた頃、手伝っていた舞台の稽古にふらりと現れたのだ。演出家の方が、「ほら、彼がアート・リンゼイだよ」と紹介してくれたのだが、彼はミュージシャンというよりは哲学者ともいうべき風貌をしていた。
僕はしどろもどろで「Are You Real?」などという馬鹿な質問をしてしまい、彼は一瞬躊躇したような表情をみせたが、すぐにニッコリと笑って「Yes」と答えてくれた。その笑顔は決して冷たいものではなかった。
- アーティスト/Arto Lindsay
- 発売年/2002年
- レーベル/Righteous Babe
- Illuminated
- Predigo
- Ultra Privileged
- Over/Run
- Invoke
- You Decide
- In The City That Reads
- Delegada
- Uma
- Clemency
- Unseen
- Beija-me
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