『Invoke』(2002年/アート・リンゼイ)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『Invoke』(2002年)は、アート・リンゼイ(Arto Lindsay)が長年追求してきた、ブラジル音楽の叙情性と前衛的なノイズを融合させる試みの到達点ともいえるアルバム。プロデューサーにアンドレス・レヴィンを迎え、カシンやヴィニシウス・カントゥアリアらブラジルの新世代アーティストも参加。伝統的なソングライティングの美学を保ちながらも、サンプリングやエディットを駆使した音作りは、21世紀以降のオルタナティブ・ミュージックにおけるひとつの指標となった。宗教的な禁欲さと肉体的な情熱という、相反する要素が静謐な音響空間の中で共存し、聴く者を不思議な陶酔へと誘う。
坂本龍一の背後にいた、あの奇妙な亡霊
90年代の日本の音楽シーンを熱心に追いかけていた多くのリスナーがそうであるように、僕もアート・リンゼイという奇妙な響きを持つ名前を最初に意識したのは、坂本龍一や矢野顕子といったミュージシャンたちとのコラボレーションを通してだった。
ダウンタウンの二人をフィーチャーしたGEISHA GIRLSのアルバム『The Geisha Girls Show 炎のおっさんアワー』(1995年)に収録された「ノメソタケ〜Minha Geisha」で彼が掻き鳴らした、チューニングを一切無視した狂気の不協和音ギターには心底驚かされた。
だが、彼の存在の奥深さを真に理解し、その底知れぬ魅力に絡め取られるようになったのは、中谷美紀の傑作アルバム『食物連鎖』(1996年)に収録された「sorriso escuro」という楽曲に出会ってからだ。
漆黒の宇宙空間をあてもなくたゆたうような、あの催眠術的でダビーなサウンドスケープ。そこに中谷美紀の儚いウィスパーボイスが深い闇の中で揺らめき、聴く者の輪郭をゆっくりと溶かしていく。
僕は、ボサノヴァの神様であるジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンのルーツに触れるよりもずっと前に、このアート・リンゼイが仕掛けた奇妙なトラックによって、初めてボサノヴァという音楽の骨格に出会ってしまったのだ。
だがそれは、灼熱の太陽が降り注ぐリオデジャネイロのビーチで鳴っているような陽気な音楽では決してなかった。冷たい銀色のコンクリートで覆われた、ニューヨークの地下深くでひっそりと鳴り響く、極限まで温度を奪われた突然変異のボサノヴァだった。
ノー・ウェーヴの破壊衝動と、宣教師の息子が抱えた矛盾
彼はアメリカ人の宣教師である両親の仕事の都合により、3歳から17歳までの多感な少年期をブラジルの北東部、ペルナンブーコ州の村で過ごしている。
この特異な環境こそが、彼の人格と音楽性を決定づけた。アメリカン・カルチャーとブラジルの土着文化、厳格なキリスト教の信仰とカーニバルに象徴される肉体への剥き出しの欲望、そして英語とポルトガル語。ありとあらゆる相反する要素が彼の内部で激しく衝突し、やがて誰にも真似できない独自の音楽的倫理を形成していくことになる。
1970年代にアメリカへと帰国した彼は、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンに身を投じ、1978年に伝説的なノイズ・パンク・バンド「DNA」を結成する。
ブライアン・イーノがプロデュースした歴史的コンピレーション・アルバム『No New York』(1978年)にも収められた彼らのサウンドは、狂気そのものだった。
コードも弾き方も一切学ばず、ただ本能のままに不協和音のギターを掻き鳴らすアート・リンゼイの姿は、「ノー・ウェーヴ」と呼ばれる前衛的なムーヴメントの象徴となった。
「DNA」というバンド名が示唆しているように、彼の芸術は彼自身の血の記憶にまで深く遡る、倫理の遺伝子の実験なのだ。ニューヨークのストリートで培ったノイズの暴力性と、ブラジルの密林で植え付けられた宗教的な抑圧。
その絶対に交わるはずのない相反する強烈なエネルギーをひとつの肉体に同居させたとき、彼のあの異形のボサノヴァは必然として誕生したのである。
ブラジル音楽が本来持っている特有の湿気を完全に削ぎ落とし、そこにアメリカの冷徹な理性を接ぎ木した突然変異の音楽。それはまさに信仰の子が作り出した極限の禁欲のブルースであり、ボサノヴァというジャンルの最も外側で鳴り響く、最も純度の高いボサノヴァなのだ。
冷たいボサノヴァの誕生
1990年代に入り、彼がソロ・アーティストとして次々と発表していった『O Corpo Sutil (The Subtle Body)』(1996年)や『Mundo Civilizado』(1997年)といった名盤たちのなかには、常に矛盾するふたつの強烈な感情が同居している。
それは「抑制された恍惚」であり、「欲望の徹底的な抑圧によってもたらされる高揚感」だ。ボサノヴァが本来持っている人肌の温度とは真逆の、“冷たい官能”とでも呼ぶべき恐ろしい手触りがそこにはある。
彼の綴る歌詞はしばしば露骨なまでに肉体的で官能的だ。しかし、それに反して彼の囁くようなボーカルとバッキングの演奏は徹底的にミニマルで、一切の生々しい感情を滲ませない。
言葉の熱量と、音の冷たさ。その奇跡的なアンバランスが、修道院のような宗教的な禁欲性と、深夜のクラブでの性的な陶酔を、見事に同時に成立させているのだ。
リオの海辺で生まれたボサノヴァが、涼しい海風を感じさせる避暑地的な音楽だったとすれば、アート・リンゼイのボサノヴァは間違いなく「氷点下の音楽」だ。彼の音の隙間にはねっとりとした湿度がまったくなく、代わりにカミソリの刃のような静謐な緊張感が常に漂っている。
しかし勘違いしてはいけないのは、その冷たさは決して「情熱の欠如」を意味しているわけではないということだ。むしろ、あまりにも過剰で巨大な情熱が高熱ゆえに一瞬で自己燃焼してしまい、その後にポツンと残された灰のような感情なのだ。
僕たち聴く者は、その真っ白な灰の温度を指先でそっと確かめながら、彼の内部の奥底に今も潜んでいる恐ろしい熱量を感じ取る。アート・リンゼイの音楽は、燃え盛る炎そのものではなく、炎が確かにそこにあったという「記憶の音」なのだ。
氷点下の恍惚
そうした彼の音楽的な探求がひとつの極致に達したのが、2002年に発表されたアルバム『Invoke』である。この作品は、アート・リンゼイという異能のアーティストの到達点として、音楽史に特筆すべき傑作だ。
緻密にプログラミングされた無機質な電子的ビートと、彼の生々しい肉体的声帯が完璧なバランスで共存し、冷徹でありながら異常に陶酔的だ。特に収録楽曲の「Illuminated」は、まるで冬の朝の氷の結晶が太陽の光を鋭く屈折させるように、近寄りがたい冷たさと息を呑むような輝きを同時に孕んでいる。
このアルバムにおいて彼は、かつてDNA時代に外へ向けて撒き散らしていたノイズの攻撃性を完全に内面化することに成功している。もはや彼は、ギターを壊す勢いで音を荒らげる必要がない段階へと足を踏み入れたのだ。
冷ややかな打ち込みのトラックに薄く重ねられる彼の微弱なボーカルは、そこに存在しているのか、それとも幻聴なのかもわからないほど脆く細い。
だが、その圧倒的な“弱さ”こそが、彼が手に入れた最強の武器であり、強度なのだ。声を荒らげ、大声を出して主張せずとも、この絶対的な静けさの中だけで世界を完全に支配することができる。
アート・リンゼイの音楽は、すべての暴力が通り過ぎた終焉の後にだけ訪れる静寂であり、ノイズという概念すらも超えてしまった次元のノイズだ。ここにある冷たさは、もはや感情の否定ではない。それは感情という不純物を極限まで削ぎ落とし、純化させた結果として残った“透明な熱”なのである。
実は僕は、ずっと昔に一度だけ、アート・リンゼイ本人に直接会ったことがある。ニューヨークに留学していた頃、雑用を手伝っていたオフ・ブロードウェイの舞台の薄暗い稽古場に、彼がふらりと一人で現れたのだ。知人の演出家が「彼がアート・リンゼイだよ」と紹介してくれたとき、僕はあまりの驚きに完全に言葉を失ってしまった。
目の前に立っている彼は、世界中を熱狂させるアバンギャルドなミュージシャンというよりも、どこか浮世離れした大学の哲学教授のようで、その痩せた身体には俗世の喧騒をすべて超越したような、不思議な静けさが纏わりついていた。
緊張のあまり、思わず僕は彼に向かって「Are You Real?(あなたは本当に実在しているんですか?)」と馬鹿げた質問をしてしまった。彼はそれを聞いて一瞬だけ怪訝そうに眉をひそめたが、すぐにクシャッと子供のように微笑んで、「Yes」とだけ短く答えてくれた。
その時の彼の笑顔は、氷点下の張り詰めた音楽を作り続ける男のものにしては、ひどく人間臭くて、あたたかったことを、よく覚えている。
- アーティスト/アート・リンゼイ
- 発売年/2002
- ジャンル/ボサノヴァ、エレクトロニック
- プロデューサー/アート・リンゼイ、アンドレス・レヴィン
- 1. Illuminated
- 2. Predigo
- 3. Ultra Privileged
- 4. Over/Run
- 5. Invoke
- 6. You Decide
- 7. In The City That Reads
- 8. Delegada
- 9. Uma
- 10. Clemency
- 11. Unseen
- 12. Beija-me
- Invoke(2002年)
![Invoke/アート・リンゼイ[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/jukebox-e1760999824596.jpg)