『Undercurrent』(1962年/ビル・エヴァンス、ジム・ホール)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー
『Undercurrent』(1962年)は、ピアニストのビル・エヴァンスとギタリストのジム・ホールがニューヨークで録音した、デュオ・アルバムの金字塔。ピアノとギターのみという最小限の編成によるインタープレイが最大の特徴であり、1962年の複数日程にわたるセッションによって制作された。収録曲には「My Funny Valentine」や「I Hear A Rhapsody」といったスタンダードのほか、「Dream Gypsy」などの叙情性に満ちた楽曲が並ぶ。トニ・フリッセル(トニー・フリーゼル)が撮影した、水面下を漂う女性を捉えたモノクロのカバー写真は、本作の持つ静謐かつ深淵な音楽性を象徴する視覚的イメージとして、作品の評価と不可分なものとなっている。
- Rolling Stone:歴代最高のジャズ・アルバム100選 第18位
- 1962年ダウンビート誌:国際批評家投票・最優秀ピアノ・デュオ部門 第1位
美しい水底のジャケットと死の影
僕はあまりレコードのジャケ買いはしないタチなのだが、ビル・エヴァンスとジム・ホールによるデュオ・アルバム『アンダーカレント』(1962年)のフロント・カバーには、初めて見た瞬間に強烈に心惹かれたのを覚えている。
澄んだ湖底に漂う白いドレスの女性を捉えたモノクロームのショット。一見すると『リング』(1998年)などのJホラーが持つ不穏な空気を漂わせつつも、同時に名状しがたい聖性や静謐さも感じさせる。残酷なまでに美しく、そしてどこか死の匂いが張り付いている一枚だ。
この印象的な写真を撮影したのは、「ハーパーズ・バザー」や「ヴォーグ」などでファッション写真をメインに活躍していたアメリカの女性カメラマン、トニー・フリーゼルだ。
フロリダ州のウィーキー・ワチー・スプリングスで撮影されたというこの作品は、当時のジャズ・アルバムのセオリーから大きく逸脱していた。アーティストの顔のアップや、ブルーノート的なタイポグラフィを駆使した抽象デザインが主流だった時代に、この静寂に満ちたアートワークを採用した時点で、本作が内包する特異な音楽性はすでに決定づけられていたと言っていい。
1961年の夏、エヴァンスは天才ベーシストだったスコット・ラファロを交通事故で喪い、深い絶望と薬物依存の闇の中に沈んでいた。そこから約1年が経過した1962年の春に録音された本作には、ラファロを失った喪失感と、深い内省の底から再び音楽と向き合おうとするエヴァンスの痛切な精神状態が確実に刻印されている。
湖底を漂う女性の姿は、当時の彼自身の心象風景そのものとして画面に浮かび上がっているのだ。
ピアノとギターという危険な罠の回避
本作の最大の特徴は、エヴァンスのピアノとホールのギターのみで演奏される完全なコラボレーション作品であるという点だ。ドラムもベースも存在しない。
ジャズにおいて、ピアノとギターのデュオというのは一般的に非常に難しいアプローチとされている。なぜなら、両方とも和音を奏でることができるメロディー楽器であり、お互いの役割が激しく衝突してしまうからだ。
誰がリズムをキープし、誰がルート音を支え、誰が主旋律を弾くのか。エヴァンスの伝記『ビル・エヴァンス──ジャズ・ピアニストの肖像』の著者として知られるピーター・ペッティンガーも指摘している通り、ピアノとギターという両方がコード楽器である組み合わせには「音が詰まりすぎる危険」が常に付きまとう。互いに和音をぶつけ合えば、響きは濁り、音楽は瞬く間に渋滞を起こしてしまう。
だが、この二大天才がそれぞれの楽器を鳴らせば、もはや細胞レベルで音が絡み合ってしまうから恐ろしい。ペッティンガーが「エヴァンスとホールはすばらしい知性と相互認識をもって、その罠を回避した」と賞賛したように、彼らはお互いの音を極限まで「聴く」ことでこの難題をクリアしている。
音楽ジャーナリストのマイケル・フレマーが「まるで同一の演奏者が同時にピアノとギターを弾いているかのように感じられる」と語ったのも大袈裟な表現ではない。
ホールのギターはまるでピアノの左手のように機能し、エヴァンスのピアノはギターの弦の響きを拡張するように空間を埋めていく。これは単なるデュオ演奏の枠を超えた、ひとつの生命体のようなアンサンブルだ。
スリリングに交錯する思索的なインタープレイ
このアルバムに記録されているクールで思索的なインタープレイの応酬は、控えめに言って悶絶必至だ。
一方が流麗なメロディーラインを弾けば、もう一方は瞬時にバッキングに徹し、互いの音の隙間を縫うようにして音楽に豊穣さと陰影を付与していく。一切の打ち合わせを感じさせない、まるでテレパシーのようなやり取りが全編にわたって繰り広げられる。
アルバムの幕開けを飾る1曲目「My Funny Valentine」から、その疾走感のあるインタープレイは全開だ。本来はしっとりとしたバラードであるこのスタンダード・ナンバーを、彼らはアップテンポなチェイスへと解体し、再構築している。
特に中盤以降の展開がスリリングだ。エヴァンスが右手で怒涛の単音ソロを弾きまくる完全独奏状態に突入したかと思えば、ホールはそれを横目で冷静ににらみつつ、一小節ごとに的確なコードチェンジを刻みながら完璧なリズム・セクションに徹している。ベースもドラムもいないのに、強烈なスウィング感がそこにはある。
続く2曲目「I Hear A Rhapsody」ではホールが、3曲目「Dream Gypsy」ではエヴァンスがそれぞれイントロの主旋律をゆったりと奏でつつ、鷹揚としたタイム感のなかで煌めくような音の粒子がこぼれ落ちていく。
二人が生み出すテンポは決して機械的な定規で測れるものではなく、呼吸のように伸縮し、波のように揺らぐ。その有機的なリズムのうねりこそが、底知れぬ心地よさを生み出しているのだ。
必要最低限の音だけを残す「引き算の美学」
数ある名演のなかでも個人的に大好きなのが、アルバムの5曲目に配置された「Skating In Central Park」だ。
モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)のピアニストであるジョン・ルイスが作曲した、実にキュートで愛らしい三拍子のワルツである。冬のニューヨークの情景が目に浮かぶようなこの優美な楽曲に対して、二人は極限まで無駄を削ぎ落としたアプローチで挑んでいる。
こういう繊細な曲に、これ見よがしなテクニックや余計な装飾なんぞまったく必要ない。エヴァンスとホールは徹底した「引き算の美学」を貫き、必要最低限の音だけを指先から丁寧に選び出して演奏する。
特にホールのプレイは驚異的で、途中から和音を弾くことすらやめ、まるで管楽器のようにポツリポツリと単音だけを空間に置いていくのだ。その圧倒的な余白の美しさに、聴く者はただ息を呑むしかない。
なんてシンプルで、なんて美しいんだろう。音を重ねていくことよりも、いかに音を鳴らさないかに神経を研ぎ澄ませた境地。互いのエゴを完全に消し去り、楽曲そのものが求める音だけを奉仕するように紡いでいく姿勢。
でも煎じ詰めれば、真に心に響く音楽ってそういうものなんだろうと思う。『Undercurrent』、ジャズというジャンルを超えて、人間同士が音を通じてどこまで深く理解し合えるかを記録した、永遠のドキュメントなのだ。
参考文献・出典
- アーティスト/ビル・エヴァンス、ジム・ホール
- 発売年/1962
- レーベル/ブルーノート・レコード
- ジャンル/ジャズ
- プロデューサー/アラン・ダグラス
- 1. My Funny Valentine
- 2. I Hear A Rhapsody
- 3. Dream Gypsy
- 4. Romain
- 5. Skating In Central Park
- 6. Darn That Dream
- 7. Stairway To The Stars
- 8. I'm Getting Sentimental Over You
- 9. My Funny Valentine (alternate take)
- 10. Romain (alternate take)
- Undercurrent(1962年)
![Undercurrent/ビル・エヴァンス & ジム・ホール[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/71CBdglKwJL._SL1500_-e1621935570237.jpg)