半野喜弘の無国籍的感性が世界を祝福する、はかなくも鮮烈なノスタルジア
刻は夕方近く、湖畔の水面が西日に照らされてきらきらと輝いている。
湖の水は澄み渡り、湖底まで見渡せるかのようだ。
乱反射する陽光が時に眩しい。
遠くでは、雁の群れがゆっくりと旋回しながら山の向こうに消えて行く。
時折聞こえる雁の鳴き声。
やがて闇が空を覆い尽くす…。
半野喜弘の3rdアルバム『Lido』(2003年)のオープニングを飾るのは、静謐なピアノの主旋律にインディアン・フルートが優しくかぶさる、どこか郷愁を誘うトラックだ。いや、そのノスタルジーはアルバム全体に通低している感覚かもしれない。
たゆたうように浮かんでは消える電子音を、室内楽的アコースティック・アンサンブルが包み込むサウンドは、僕たちの記憶のひだに刻み込まれていた風景を呼び覚ます。
半野喜弘が紡ぐ音楽がリスナーの郷愁を誘うのは、連続的な時間を作為的にカットアップするサンプリングが主体ではなく、美しい和声による肉感的な響きがあるからだ。
ジョーン・ラ・バルバラによる甘く倦怠感に満ちたヴォーカル、笹子重治やアート・リンゼイによる幻術的なギター・ワーク。ダウンビートに乗せて紡がれる、はかなくも鮮烈なノスタルジア。
『Lido』の製作には4年という歳月を費やしたらしいが、半野喜弘自身の記憶を辿るプロセスには、それだけの時間が必要だったのかもしれない。
『Lido』というタイトルは、ヴェネツィア本島の東南に位置するリゾート地、リド島に由来。ビスコンティの古典的名作、『ヴェニスに死す』(1971年)の舞台にもなっている。
しかし、このアルバムが異国的な匂いを放つことなく、ユニバーサルな魅力を兼ね備えているのは、クラシック、エレクトロニカ、ジャズ、前衛音楽、アンビエントなど、ボーダーレスな音楽的素養を持つ半野喜弘ならではの無国籍的な感性が働いているからだろう。
日曜日の夕方に、ふとこのアルバムを聴いてみる。視界に広がる風景は、どこまでも優しく、暖かく、そして懐かしい…。
- アーティスト/半野喜弘
- 発売年/2003年
- レーベル/ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
- リド
- 北へ…
- 旋回
- 届けられなかった手紙
- 葉上の血は決して僕を許さない
- 記述者
- 4本の右手の為に
- 沈む石
- 祈りを知らない唇
- 亡命者
- 始まり、そして果て
- 幸福なる死
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