2017/9/29

音楽図鑑/坂本龍一

『音楽図鑑』(1984年/坂本龍一)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー

10段階評価
8
GOOD

概要

『音楽図鑑』(1984年)は、坂本龍一がYMOの散開後、自身の音楽的イマジネーションを最も純粋な形で結晶化させた発表した4作目のソロ・アルバム。長期にわたるスタジオ・ワークを経て紡ぎ出された本作は、当時最先端だったサンプリング・マシン「フェアライトCMI」を縦横無尽に駆使し、音の一粒一粒をキャンバスに配するような、極めて緻密な録音芸術として構築されている。無機質なデジタル・サウンドの中に、アジアの土着的リズムや西洋クラシックの端正な構造、さらにはジャズの即興性までもが、かつてない高次元で融合している。

目次

終わりのない音の探求──1年半のモラトリアム

坂本龍一が「自身の最高傑作」と公言してはばからないアルバム『音楽図鑑』(1984年)。YMO散開前後の時期にあたる1983年1月からレコーディングが開始された本作は、特に明確な締め切りを設けず、断続的にスタジオ作業が行われた。結果として、完成までに約1年半もの膨大な時間が費やされることとなる。

この時期の彼は、Fairlight CMI、YAMAHA DX-7、Prophet-5といった当時の最新鋭ハードウェアを駆使し、まるで音の実験室に引きこもるかのように制作に没頭した。実際に録音されたトラック数は実に35曲にも及ぶというから、その尋常ではない探求心には驚かされる。

ピアノを弾く坂本自身の影が「蟻」の姿になっているという、どこかシュールなジャケット・デザインを担当したのは立花ハジメだ。これは、スタジオにこもりきりで「働き蟻のように働いている」当時の自分自身を、半ば自嘲気味に表現したアイデアである。

フランスの女性監督エリザベス・レナードによる音楽ドキュメンタリー『TOKYO MELODY』(1983年)では、まさにこのアルバムを制作している最中の、貴重なスタジオ風景や彼の思考の断片を垣間見ることができる。

豪華絢爛なゲストと「ナム・ジュン・パイク」の影

本作を「図鑑」たらしめているのは、多様な生態系のように集められた超豪華な参加ミュージシャンたちの存在だ。

ざっと名前を挙げるだけでも、盟友である細野晴臣や高橋幸宏をはじめ、大村憲司、近藤等則、ヤン富田、山下達郎、清水靖晃、白井良明、武川雅寛と、当時の日本の音楽シーンを牽引していた錚々たる顔ぶれが揃っている。彼らの強烈な個性が、坂本の構築する緻密なエレクトロニクスと有機的に絡み合うことで、このアルバムは唯一無二の多国籍な響きを獲得した。

また、M-9に収録された「A Tribute To N.J.P.」の“N.J.P.”とは、現代美術の世界に多大な影響を与えたビデオ・アートの父、ナム・ジュン・パイクのことである。曲のブリッジ部分でコラージュ風にインサートされている謎めいた声の主も、ナム・ジュン・パイク本人のものだ。

増殖する図鑑のバリエーション

『音楽図鑑』の面白さは、リリース後もその姿を少しずつ変えながら増殖していった点にもある。

例えば、イギリスでリリースされた海外盤(タイトルは『Illustrated Musical Encyclopedia』)では、トラックリストが大幅に変更され、「Field Work」や「Steppin’ Into Asia」が追加収録されるなど、オリジナル盤とは内容が大きく異なっている。

さらに国内でも何度か再発が繰り返されており、通常版のほかに『音楽図鑑完全盤』、『音楽図鑑完璧盤』、そして極めつけの『音楽図鑑(純金CD盤)』と、現在までに4つの異なるバージョンが存在する。マニアにとっては、すべてをコンプリートしたくなる悩ましい仕様である。

また、M-12「きみについて」は、もともとカセット版と日本生命のプロモーション版にのみ収録されていたという、ややレアな出自を持つ楽曲だ。

後年になって、シンガーソングライターのEPOが本作のM-1「Tibetan Dance」をカバーしているのも興味深い。しかも彼女自身がオリジナルの作詞を手がけて歌っているというのだから、いったいどんな歌詞が乗っているのか、原曲の無国籍なメロディを知る僕としては気になって仕方がない。

時間をかけて丁寧に音の標本を集め、美しい図鑑へと編み上げた本作。それは今聴いてもまったく色褪せることのない、正真正銘のマスターピースだ。

アルバム情報
プレイリスト
  1. 1. Tibetan Dance
  2. 2. Etude
  3. 3. Paradise Lost
  4. 4. Self Portrait
  5. 5. 旅の極北
  6. 6. M.A.Y. In The Backyard
  7. 7. 羽の林で
  8. 8. 森の人
  9. 9. A Tribute To N.J.P.
  10. 10. レプリカ
  11. 11. マ・メール・ロワ
  12. 12. きみについて
  13. 13. Tibetan Dance
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