『平成風俗』──舞台と音楽が交差する瞬間
『平成風俗』(2007年)は、椎名林檎が映画『さくらん』のために制作したアルバムで、作編曲家の斎藤ネコとともに多数の楽曲を手がけた作品である。全13曲のうち8曲が既成曲のカバーで構成され、劇中の舞台設定に合わせた多様な音楽が選び取られている。映画の監督である蜷川実花は、劇中で用いる楽曲として新曲ではなく既存の楽曲を採用する方針を示し、椎名がその要望に応じる形で制作が進行した。アルバムは、豪奢なストリングスや多人数編成の演奏を軸に、場面ごとに異なる音楽的背景を持つ曲が並び、作品世界を補完する役割を果たしている。
映像化されたサウンド──“パフォーマンス”が呼び覚ます身体性の回路
この『平成風俗』(2007年)が傑作アルバムに違いないと確信したのは、フジテレビ系音楽番組『僕らの音楽』で、椎名林檎とイチローが対談した回をたまたま鑑賞したとき。
放送の最後に、椎名林檎が総勢70人にも及ぶマタタビオーケストラ(すごい名前!)を従えて、『ギャンブル』をパワフルで凛としたヴォーカルで絶唱したのを目撃したのだが、いやマジでこれは素晴らしいパフォーマンスであった。
浮雲が歪んだディストーション・ギターで主旋律を弾くと、それに呼応するかのごとくハープがきらめくような音色を奏でる。ブラスセクションはダイナミズムを、リズム・セクションはうねるような高揚感をキープしている。
どこか艶っぽさを感じさせるビッグバンド・ジャズ・アレンジは、どこか猥雑なイメージを散布していた椎名林檎的世界と、見事なまでに合致。そんな訳で僕は番組の視聴後、あわてて『平成風俗』を聴いたのである。
“昭和モダン”の複層性──ジャンルが溶解するアレンジの磁場
『平成風俗』は、斎藤ネコと椎名林檎の共同作業が最も高密度に結晶した作品だ。
斎藤ネコカルテットのリーダーであり、作曲家・編曲家として膨大な経験を持つ斎藤ネコが設計するストリングスは、単なる豪奢さを超え、曲の内部に潜む情景を可視化するための“光源”として配置されている。
長いサスティンで空間をゆっくり開閉させるストリングス、タイトなアタックでリズムを刻む弦、密度の高い和声を背景に沈める低音部。そのどれもが、林檎の声色と密接に連動する構図で組まれている。
アルバム全体に貫かれるのは、サンバ、ビッグバンド・ジャズ、タンゴ、シャンソンといった昭和のダンスホールを想起させる音楽の系譜だが、それらは過去のジャンルを引用するためではなく、“林檎という個性”の中へ再配置するために利用されている。
昭和的な猥雑さ、過剰さ、官能性。それらをただ模倣するのではなく、音響設計の段階で一度解体し、再び緊張感のある形で組み直しているのが特徴だ。
だからこそこのアルバムは、ジャズやタンゴのスタイルを借りながらも、そのどれにも完全には回収されない“混成の磁場”として立ち上がる。ジャンルを横断するというよりも、ジャンルそのものを一度無効化することで、林檎の声が響く新しい場を創出している。
『平成風俗』が持つ耽美さや猥雑さは、その表層にある装飾性ではなく、複数の音楽言語を重ねた際に生じる摩擦によって生み出されているのだ。
映画音楽としての誤配──“既成曲”が拓いた構造のねじれ
このアルバムはもともと、蜷川実花の初監督作品『さくらん』(2007年)のサウンドトラックとして制作が進んでいた。映画のためにオリジナル曲を書き下ろそうとやる気マンマンだった椎名林檎だったが、蜷川実花に「既成曲を使いたい」という腰のくだけるような要望を受け入れる形になったため、ほとんどが彼女のソロ・ナンバーで占められることになったのだとか。
映画の情景に合わせて曲を書くのではなく、既存の曲が映画の色彩や質感を変形させる形で流れ込むため、音と映像の関係は常にずれる。そのズレは、林檎の楽曲が持つ都市的な速度や濃密な語彙、あるいは声の硬質な質感が、蜷川の極彩色の世界と衝突しながら新しいイメージを生成する契機となった。
タランティーノが『キル・ビル』に布袋寅泰の『新・仁義なき戦い』を選んだ際、新曲提供の申し出を断り既成曲を使ったという逸話が象徴的だが、ここでも同じ構造が働いている。
創作者の意図よりも、作品の文脈が既成曲を必要としてしまう瞬間。『平成風俗』の音楽は、そのズレの中で作品の外側へ滲み出し、映画とアルバム双方のイメージを拡張する役割を負った。
アルバム単体で聴いても強靭な統一感があるのは、既成曲という制約が逆説的にアレンジの自由度を押し広げ、個々の曲が映画の外へ解放された結果にほかならない。
- アーティスト/椎名林檎×斎藤ネコ
- 発売年/2007年
- レーベル/EMIミュージック・ジャパン
- ギャンブル
- 茎
- 錯乱
- ハツコイ娼女
- パパイヤマンゴー
- 意識
- 浴室
- 迷彩
- ポルターガイスト
- カリソメ乙女(TAMEIKESANNOH ver)
- 花魁
- 夢のあと
- この世の限り

