『Men I Trust』──深夜の部屋を揺らす“静かなグルーヴ”の原点
『Men I Trust』(2014年)は、カナダ・ケベック州で活動を始めたジェシー・キャロン、ドラゴス・キリアック、エマニュエル・プルーによるインディーポップバンド、メン・アイ・トラスト(Men I Trust)のデビューアルバム。宅録機材を用いて制作され、Bandcampを中心に自主リリースされた本作は、電子ドラムと反復するベースを軸に、歌唱を音響素材として配置するミニマルな楽曲構造を貫く。クラブ向けの四つ打ちや盛り上がりの展開を置かず、静かな都市環境や夜間のリスニングを想定した音像が特徴であり、後続作『Headroom』や『Oncle Jazz』へ通じるスタイルを確立した最初の作品となった。
踊らないダンスミュージックの源泉
2014年。ケベック州の静かな街で、メン・アイ・トラスト(Men I Trust)はほとんど音も立てずに始動した。
ジェシー・キャロン、ドラゴス・キリアック、エマニュエル・プルー、高校時代からの友人同士が宅録機材を並べ、夜の気温がそのまま音の温度になったようなデビューアルバム。それがセルフタイトルの『Men I Trust』である。
ここには衝動的爆発という印象はない。むしろ、熱を抑制しながら構造を設計する冷静な意志が貫かれている。クラブ仕様の四つ打ちは存在せず、リスナーを煽るサビもない。
それでも身体が静かに揺れ始める瞬間、この作品が“踊らないダンスミュージック”として機能していることが明らかになる。
この音楽には「場所の静けさ」が刻まれている。モントリオールではなく、より静かなケベック・シティ。巨大レーベルに依存しないままBandcampで自主リリースを続け、「待つより作る」ことを選んだDIY精神。
ドラゴスは「自然は自由であり美だ」と語り、ジェシーはジャズ・ベースとパンクの衝動を併せ持ち、エマニュエルは歌よりも先にギタリストとして音像を解体してきた。
だからこのアルバムは、クラブでもフェスでもなく、深夜の部屋のヘッドホンを前提に調律されている。“外へ出なくても揺れてしまう音楽”として。
反復するベースと電子ドラム──意味ではなく運動を描く音楽
冒頭の「A Cycle」では反復ベースが聴覚を支配し、乾いた電子ドラムが拍を打つ。そこに提示されるのは“曲”ではなく“運動”だ。
そして本作の中枢を最も鮮明に示すのがM-2「Dazed」(個人的には一番好きなトラック)。メロディよりも「反復の快楽」が前景化する。打楽器は極端に削ぎ落とされ、ベースがリズムと旋律を兼任する異形の構造が成立する。
ネオソウル的コード進行が極限まで冷却され、ファンクの身体性のみが透明な状態で残されることで、“ダンスの残像”だけが耳の内部に立ち上がる。めっちゃカッコイイやん!
一方で「Nasty Ostinato Ad Nauseam Snap Bass Caron」はダンスミュージックの骨格をむき出しにした無機質なループであり、「Stay True」ではベースの運動とシンセの静性が均衡し、本作の根底が「抑制された身体性と環境音楽的浮遊の併存」にあることが露わになる。
つまり、これは曲ごとに異なるタイプの音楽ではない。すべての曲がひとつの運動を別角度から照射している音響実験である。
このアルバムには確かに歌がある。しかし声は意味を運ぶ主体ではなく、音響素材のひとつとして扱われる。後年の Men I Trust がエマニュエル・プルーの声を前面へ置くのに対し、ここでは声は楽器と同列に配置されている。
抑揚を排し、息の湿度だけが録音され、旋律よりも残響の粒子が支配権を握る。これは“歌詞を理解する音楽”ではなく、“空気の質を浴びる体験”として成立している。
メン・アイ・トラスト流ダンス性──反復/抑制/身体性の理論
メン・アイ・トラストは「ABBAが好きだ」と語る。それは懐古ではなくポップ構造への信仰だ。メロディの対称性、反復、ループがもつ吸引力──彼らはその“骨格だけ”を冷却し直した。
ジェシーのベースにはチェット・ベイカーやビル・エヴァンスの休符の美学が潜み、ドラゴスは古いサンプラーの質感を愛し、ヒップホップ的反復の快楽を電子ドラムに移植した。
本作が独自性を獲得しているのは、ダンスミュージックの原理を“削る”ことで身体性を残した点にある。
1.反復:ハウスやテクノが持つ「同一パターン持続」に依拠しつつ、構造を単純化し、快楽を“強度”ではなく“残像”として作用させる。
2.抑制:音圧・装飾・展開を制限し、エネルギーを外へ放出しない。その結果、外部ではなく“内側=身体”へ向かうグルーヴが生まれる。
3.身体性:リズムの主導権を打楽器ではなくベースへ移し、拍よりも“質量”で揺れる音楽を構築する。
この三点は「踊るためのリズム」ではなく「静止した状態でも身体を揺らすリズム」を実現する。一見アンビエントにも見えるのに、確かに身体は揺れてしまう──この矛盾こそが メン・アイ・トラストのダンス性の本質だ。
部屋のなかにフロアを作る──新しいダンス音楽の誕生
『Men I Trust』は、後の『Headroom』『Oncle Jazz』へ継続する設計図だ。シンセ・ベース・電子ドラムという三項関係を静かに回転させながら、彼らは「外部空間を必要としないダンス音楽」を作りはじめた。
これは“踊らない”のではない。“外へ出なくても踊れてしまう音”なのだ。反復と余白だけで身体を揺らす──その手つきは従来のダンスミュージック史とは明らかに異なる軌道を描いている。
クラブの爆音も、夜の群衆も必要としない。彼らが提示したのは、帰宅後の部屋とヘッドホンの内部に生じる、極私的なフロアである。
アンビエント・ハウスが快楽の体温を下げ、チェンバーポップが感情表現を内側へ折り畳んだように、メン・アイ・トラストは「ダンスの条件」そのものを書き換えた。
刺激や昂揚ではなく、反復と静脈で身体を揺らす音楽。そこではダンスとは行為ではなく状態であり、運動ではなく残像として成立する。このデビュー作は、その転位が最初に明確な形を取った地点である。
踊らないダンスミュージック史を語るとき、アンビエント・テクノの内向性、Lo-fiヒップホップの自宅性、チルウェイブの湿度、そしてBedroom Popの親密さはすべて同一線上にある。その線上に最も美しい重力をもたらしたバンド──それが メン・アイ・トラストだ。
音像は静かだが、構造は激しい。抑制しているのではなく、跳ねる必要さえなくなった身体を描いているのである。クラブを必要としないダンス。匿名の幸福。耳の奥で揺れ続けるベースループ。
『Men I Trust』とは、その始まりをもっとも静かに、もっともラディカルに告げた作品である。
- アーティスト/メン・アイ・トラスト
- 発売年/2014年
- レーベル/Return To Analog
- A Cycle(feat. オディール)
- Dazed(feat. ガブリエル、ジョフロア)
- Stay True(feat. ヘレナ・ダランド)
- A Prayer(feat. オディール)
- Opus
- System(feat. ガブリエル、ルネ・マリー)
- Endless Strive
- Nasty Ostinato Ad Nauseam Snap Bass Caron
- Extatic Memoirs(feat. オディール)
- Introit(feat. オディール)
- A Closing Word
![Men I Trust/メン・アイ・トラスト[CD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/81QReFmR5IL._AC_UL640_FMwebp_QL65_-e1763330498855.webp)