青春映画の傑作として名高い『卒業』は、言ってしまえば、20歳の童貞男がアラフォーマダムとセックスしまくり、でも一番愛しているのはその娘だと居直って、ストーカーまがいの行動をした挙げ句、教会で娘をかっさらうという下半身グラフィティである。
このように要約してしまうとミもフタもないが、この「ミもフタもなさ」こそ『卒業』の本質を突いているんではないか。マイク・ニコルズの演出はビックリするぐらいにシニカルなのだ。
ダスティン・ホフマン演じるベンジャミンは、新聞部の部長にして大学陸上部のスター、将来を嘱望される前途洋々の若者。
だが周囲の過剰な期待と裏腹に、漠然と将来に対して不安を抱いている。その感情の揺れは、潜水服を着てプールに飛び込んだホフマンを、大人たちが上から押さえつけるという、暗喩的表現で直裁に描かれる。
その鬱屈とした感情とありあまるリビドーの合わせ技一本で、彼はミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)とめくるめくホット・ナイトを過ごすことになるのだ。
ヒロインのエレーン(キャサリン・ロス)は、意外にも物語の半分が過ぎてから、やっとこさ登場。一応設定として二人は幼なじみということらしいのだが、特に映画内ではそこは強調されず、たかだか一回のデートをしただけで、ダスティン・ホフマンは彼女と真実の恋を貫こうとする。
本来であればドラマティックに高揚するであろうシークエンスが、淡白すぎるぐらいに冷めたタッチで綴られていくのだ。
幼なじみの母親と不倫に溺れ、毎日を自堕落に過ごす日々。しかしエリート意識の強い彼にはそれを事実として受け止めきれず、その娘を愛する(と信じ込もうとする)ことで、現実逃避を試みる。
マイク・ニコルズの演出ぶりには、そんな深読みを許容するだけの冷徹さがある。ダスティン・ホフマンはキャサリン・ロスを愛していないし、アン・バンクロフトも愛していなかった(妻を寝取られ、娘を略奪された父親のマーレイ・ハミルトンは、エラい迷惑だが)。
彼は愛ゆえに教会へ走るのではなく、愛している自分を演じることによって、“いま、ここにある自分”を正当化しようとするんである。
花嫁奪還後に乗り込んだバスのシーンの撮影時、マイク・ニコルズはわざと「カット!」の声を遅らせることで、笑顔の二人が次第に不安になっていく表情を捉えた。
二人を待ち受けているのは、確実にバラ色の未来などではない。『卒業』はミもフタもないぐらいに刹那的な物語だ。この映画における真実の愛とは、おそらく「ミセス・ロビンソンは本気でベンジャミンを愛していた」という哀しすぎる事実だけである。
- 原題/The Graduate
- 製作年/1967年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/105分
- 監督/マイク・ニコルズ
- 製作/ローレンス・ターマン
- 原作/チャールズ・ウェップ
- 脚本/バック・ヘンリー、カルダー・ウィリンガム
- 撮影/ロバート・サーティース
- 音楽/ポール・サイモン、デイヴ・グルーシン
- ダスティン・ホフマン
- キャサリン・ロス
- アン・バンクロフト
- マーレイ・ハミルトン
- リチャード・ドレイファス
- エリザベス・ウィルソン
- バック・ヘンリー
- ウィリアム・ダニエルズ
- マイク・ファレル
- ノーマン・フェル
- アリス・ゴーストリー
- ブライアン・エイヴリー
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