“女性映画の名手”成瀬巳喜男の演出術が冴え渡る、家族ドラマ
僕はいまだに女性なる生き物の生態がさっぱり掴めぬ、甲斐性なしのオッサンである。
一番よく分からないのが、突発的にヒステリーをおこしたかと思うと、そのあとでお菓子でも与えておけば、打って変わってゴキゲンになるところである。ってゆーか、どうなってんだその回路。まるで稲妻のごとく、瞬発的で切り替えが早い。
林芙美子の原作を映画化した成瀬巳喜男監督の『稲妻』(1952年)においても、女性陣は泣きまくって怒りまくっているんだが、次のシーンでは皆スッキリした表情。
カシマシ三姉妹と茫洋とした弟の、「4人兄弟で全員父親が違う」という複雑な家庭環境、欲にまみれた男たちがネチネチと彼女たちにまとわりつく厭らしさ(三姉妹全員を我がものにしようとする小沢栄太郎の小悪党ぶりが最高)、プロットを取り出すと、あまり希望を抱かせない陰湿な物語ではある。
しかし、どこか観賞後に清々しい気持ちになれるのは、その後腐れのなさなのかもしれない。今だったら、昼ドラ的ドロドロ劇になること間違いなし。
物語は、バスガイドをしている三女(高峰秀子)の視点を軸に綴られるのだが、一見、思ったことをズバズバ言う彼女は現代的な女性のように見える。
しかし、家族の関係に心底ウンザリしている彼女は、世田谷で一人暮らしを始めることでそこから逃避しているだけなのであって、まだ彼女のアイデンティティーは確立されていない。
数え年で23になるにも関わらず「何か新しく勉強したい」と発言したり、隣に住むピアニストの兄妹に羨望の眼差しを向けたりして、少しずつ自分の方向性を見いだそうとする。
つまり『稲妻』は、家族にも結婚にも希望が見いだせない女性が自立する物語なのではなく、あくまで自立の一歩手前でもがいている女性の物語なのだ。
だがその先に、漠然と「未来」と「幸福」が待っていることを信じている。不必要に楽観的にも悲観的にもならず、現実をしっかり噛み締めながら、今日一日を生きていく。このバランス感覚こそが、女性映画の名手と謳われた成瀬巳喜男の真骨頂である。
この映画では、成瀬巳喜男の音のセンスもイカしている。ラジオ、ハーモニカ、バイクのエンジン音、行商人の声、何気ない音を効果的にまぶすことによって市井の人々の生活が滲み出ているし、ラストでピアノが鳴り響く中稲妻が落ちるシーンは、もはや単独のショットとして充分ドラマティック。
日常に転がっている音を映画内に取り込み、エモーションをかきたてる装置として機能させるテクニックに驚嘆いたしました。
- 製作年/1952年
- 製作国/日本
- 上映時間/93分
- 監督/成瀬巳喜男
- 企画/根岸省三
- 原作/林芙美子
- 脚本/田中澄江
- 撮影/峰重義
- 美術/仲美喜雄
- 衣裳/藤木しげ
- 編集/木東陽
- 音楽/斎藤一郎
- 音響効果/花岡勝太郎
- 助監督/西條文喜
- 高峰秀子
- 三浦光子
- 村田知英子
- 植村謙二郎
- 香川京子
- 根上淳
- 小沢栄太郎
- 浦辺粂子
- 中北千枝子
- 滝花久子
- 杉丘毬子
- 丸山修
- 高品格
- 宮島健一
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