『ツイン・ピークス』の最終話に登場する、貸金庫の老人の亀のごとき緩慢な動きが不思議に忘れられなかった。
言ってしまえば、足腰の悪いジジイがゆったりと左端から右端へと移動する様子を、何の工夫もなくワンカットで捉えただけのシーンなんだが、ドラマも最終盤に入って伏線が次々と収束していくなか、そんな諸事には我関せずとばかりに、物語を一時的に停滞させてしまうのである。
おそらくリンチの興味は、その緩慢極まりない独特のタイム感にあったんではないか。ハリウッド的高速テンポとは一線を画すスローテンポ。余剰そのものが愛おしいというような感覚。
『ストレイト・ストーリー』は、そのようなタイム感で全編を貫き通してしまった、スーパー・ストレンジ映画なのである。
にも関わらず、’99年のカンヌ映画祭でお披露目された際には、
約10年間絶交状態にあった兄に会うためトラクターに乗りこみ、350マイルの距離を一人旅する73歳の老人の姿を描いた感動のロード・ムービー
という美辞麗句が踊り、無邪気なオーディエンスから絶賛を浴びてしまった。
たとえばフランスのル・モンド紙は、
ストレイト・ストーリーは過渡的であると同時に成熟した映画だ。旅の終わりに辿り着いたアルヴィン・ストレイトのように、沈黙を支配する星空のごとく、リンチはピュアでなめらかなイメージで映画をつくりだした
というような記事を書いてしまう始末。ナンセーンス!!リンチは老人臭いフニャチン映画なんぞ撮っておらん!!
トラックに帽子を吹き飛ばされたリチャード・ファーンズワースが、トラクターを停めて杖を両手に持ち、ヨタヨタと帽子を拾いに行くシーンは、「ピュアでなめらかなイメージ」によって成立しているのではなく、リンチ独特の老人使いによって、緩慢なタイム感で描出されているに過ぎない。
『ストレイト・ストーリー』はこれまでのフィルモグラフィー以上に、リンチ的ウィアード&ビザールを濃厚に漂わせている一編なのだ。
壊れたトラクターを修理して法外な料金を請求する双子、毎週クルマで通勤するたびに鹿と衝突するとわめき散らす中年女。登場人物は、『ツイン・ピークス』の住民とタメ張れるぐらいに奇怪な人々ばかり。
下り坂でトラクターのブレーキが利かなくなったリチャード・ファーンズワースの表情を、変則的なズームアップで捉えるカットなんぞ、「感動のロード・ムービー」というクリシェから大きく逸脱している。
『ツイン・ピークス』によれば、世界は陰陽の原理に支配されていて、ブラック・ロッジなる世界とホワイト・ロッジなる世界が対になって存在しているそうだが、さしずめ『ストレイト・ストーリー』はホワイト・ロッジ・サイドの作品というところか。
しかし、「陽」にもストレンジな世界は宿る。リンチは周到な手つきで、陰陽の両極からその不可思議さを暴きだしていくのだ。
《補足》
2000年10月6日、リチャード・ファーンズワースは癌を苦にして銃で自殺した。R.I.P.
- 原題/The Straight Story
- 製作年/1999年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/111分
- 監督/デヴィッド・リンチ
- 製作/アラン・サルド、メアリー・スウィーニー、ニール・エデルスタイン
- 脚本/ジョン・ローチ、メアリー・スウィーニー
- 撮影/フレディ・フランシス
- 音楽/アンジェロ・バダラメンティ
- 美術/ジャック・フィスク
- 編集/メアリー・スウィーニー
- リチャード・ファーンズワース
- シシー・スペイセク
- ハリー・ディーン・スタントン
- エヴァレット・マクギル
- ジェイン・ヘイツ
- バーバラ・イー・ロバートソン
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