フランソワ・トリュフォー監督の『ピアニストを撃て』(60)を観たのは、筆者が高校生の頃だった。男と女。犯罪。場末の酒場。スクリーンの隅々にまで、トリュフォーが影響を受けたフィルム・ノワールへのオマージュが炸裂していた。
主人公のピアノ弾きシャルリを演じているのは、フランスを代表するシャンソン歌手のシャルル・アズナヴール。正直イケメンでもないし、女性と並んでもだいぶ小柄だし、どうにもこうにも煮え切らないキャラなのだが、彼の周りにはやたら素敵女子が群がってくる。当時ティーンエイジャーだった筆者は、「キャスティングに無理があるんじゃね?」と違和感を覚えたものだ。
シャルル・アズナヴールとフランソワ・トリュフォーの外見が似ていることに気が付いたのは、もう少し後になってからのこと。『ピアニストを撃て』の主人公は、他ならぬトリュフォー自身だったのだ。『大人は判ってくれない』(59)をはじめとする「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズで、ジャン=ピエール・レオに自分を投影したように。
女性を愛し、崇拝してやまなかったトリュフォーは、一貫して男女の恋の機微を描き続けてきた。かつて盟友だったジャン=リュック・ゴダールは政治を探求するようになったが、彼は恋愛を探求したのである。自らの化身を、映画の中に忍ばせて。
トリュフォーは、アルフレッド・ヒッチコックへのインタビューを敢行した書籍「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」のなかで、最も好きなヒッチコック作品が『汚名』(46)であることを公言している。この作品もまた、サスペンス映画の傑作であると同時に、ヒリヒリするような恋愛映画だ。
ぜひご一読ください!
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