ブラック・ジャック

ブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス)

医者という職業を通して、人の「生と死」に向き合うストーリーが重くならない訳がない。

手塚治虫センセイもその点はよくご存知で、コメディ・リリーフとしてピノコというキャラクターを登場させてみたり、「ヒョウタンツギ」だの「アッチョンブリケ」だの、アッパラパーなお笑いを提供してはいるが、はっきりいってギャグとしては相当サムい。

手塚治虫は基本的にギャグのセンスはあまりなかった作家だと思うのだが(江口寿志も手塚のギャグが大嫌いだったと告白している)、少年誌連載モノとしてはあまりにもハードな内容を中和させる手段だったんだろうか。

僕が小さい頃に慣れ親しんでいたマンガとは、単純な勧善懲悪であり、読後に爽快感を与えるものだった。しかし、手塚治虫のマンガではそのルールは適用されない。

善人たちが抹殺され、悪人たちがはびこる社会を読む者につきつける。「ブラック・ジャック」でも善人が助かるとは限らない。何億という金を積んだ悪党が、ブラック・ジャックのオペによって助かったりする。善悪というボーダーラインはここでは崩壊している。

ブラック・ジャックはビジネスライクに徹する医者だ。彼は医者としての興味を満たす難病を抱える患者か、大金をはたく大富豪しか相手にしない。ヒューマニズムなどという甘ったれた道徳観なんぞナッシング。彼が一人の命を救ったとしても、世界のどこかで何万という人間が死んでいく。

救われる者と、救わられざる者との境界線はどこにあるのか。ブラックジャックは、そこに「善悪」などという曖昧な価値観ではなく、「金」という単純明快なボーダーラインを設定した。明確な線引きをすることで、彼自身も医者としての苦悩から救われる。

大阪大学医学部を卒業し、医者としてのライセンスを持つ手塚は、終生「生命」という問題に真正面からぶつかってきた。「生命」を神の視点から描いた作品が「火の鳥」とするなら、「ブラック・ジャック」はヒューマンな視点から成り立っている。

だからこそ軋轢や葛藤が生じ、ドラマが生成される。生死の狭間でもがき苦しむブラック・ジャックは、手塚治虫その人の苦悩でもある。だからこそこの作品は人間的で、だからこそ感動的なのだ。

あるテレビ番組で、司会者がゲスト出演していた手塚にこんな質問をした。

「先生の作品はどうして人がよく死ぬんですか?」
「それは、現実に人がたくさん死んでいるからですよ」

手塚は別にアンチモラリストではない。現実世界の不条理をそのまま描いただけだ。「ブラック・ジャック」を読むたび、僕は理想と現実のギャップに苛立ちを覚える。

救いようのないような、寂寥とした寂しさは、今僕らが足をつけているこの現実界そのものだ。

DATA
  • 著者/手塚治虫
  • 発売年/1973年
  • 出版社/秋田書店

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