人間の醜悪な部分を暴き、徹底してエゴイズムを描く、悪夢的『十五少年漂流記』
梅図かずおの描画技術が稚拙であることは、いまさら議論するまでもないだろう。人物の動きは静止画的で、自然主義的な運動描写には決定的に欠けている。
だが梅図かずおは、斜線やフキダシの過剰使用により、心理的緊張や情動を過剰に視覚化する。描画技術の不完全さをむしろ表現の戦略に転化しているのだ。読者は過剰な漫画表現に触れることで、むしろ異常性や不安感を強く体感することになる。『漂流教室』はその最たる例だろう。
例えば主人公の翔くんが、朝起こしてくれなかったことに腹をたて、母親と口論する場面。この時の親子のテンションは異常だ。
「なんで朝起こしてくれなかったの!!!」
「あなたがいつも朝起きないからよ!!!!」
お互いの目は見開き(っていうか瞳孔が開き)、眉は釣り上がり、今にも大殺戮が始まりそうな異様な空気に包まれる。しかしこれは、どの家庭にもある日常的なヒトコマなのだ。梅図かずおの描画はあきらかに狂気に満ちている。
物語構造的には、小学校がまるごと未来にタイムスリップしてして、少年・少女たちがサバイバルする羽目に陥るという、『十五少年漂流記』(1888年)に代表されるような児童文学の枠組みに依拠している。
しかし、子供たちが一致団結して困難を克服する一方で、夥しい数の死が描かれているのは、明らかにアウト・オブ・児童文学。パニックになった山本さんが自殺したり、雨乞いの儀式として生徒が火あぶりにされたり、怪虫に襲われて首チョン切られたり、未来キノコを食べて突然変異したり。
862人いた大和小学校の生徒たちが、最終的に生き残ったのは100人あまり。これに比べれば、『バトルロワイヤル』(2000年)はまだかわいいものかもしれない。
給食屋の関谷を筆頭に、鬼畜キャラがてんこ盛りなのも『漂流教室』の特徴だ。給食室のパンを独占しようとして先生や生徒をブチ殺し、チャカをちらつかせて子供たちを手下のようにコキ使う人物造形は、「極端化された悪の表象」として機能している。
一方、物語の根底に流れるテーマは愛ーー特に親子愛だ。母親は息子のピンチを直感で知り(それには何の論理的説明はない)、ホテルの壁を壊してナイフを埋めたり、病院に忍び込んで死体にクスリを詰めたりする。
非日常的・残虐的事件の連鎖を通じて人間のエゴイズムや暴力性を暴きながらも、最終的に生き残った子供たちへの希望と親子の絆を描くことで、倫理的・感情的核心を強化しているのだ。
生きるためにはモラルなど構っていられない。ゆえにドラマは人間の醜悪な部分を暴き、徹底してエゴイズムを描き、同時に親子愛を活写する。このようなハードな世界観をもった作品は、そうそうない。
描画技術における稚拙さをむしろ表現的武器として転化し、極端な人間ドラマと倫理的二項対立を描き出すことで、『漂流教室』は唯一無二の存在感を放っている。
- 著者/楳図かずお
- 発表年/1972年〜1974年
- 掲載誌/週刊少年サンデー
- 出版社/小学館

