メタ的な構造をまとった、寺山修司的世界観で構築された「自分探し」
詩人、歌人、俳人、エッセイスト、小説家、評論家、俳優、作詞家、写真家、劇作家にしてアングラ劇団「天井桟敷」主宰、寺山修司。…肩書き多すぎじゃね?
そんな彼の作品との出会いは、今でも鮮明に覚えている。ニューヨーク在住のTVディレクターの自宅に遊びに行ったとき、専門店が開けるんではないかと思うくらいに大量に積み上げられたビデオテープのなかから、「ルイくん、これ観たことある?スゴいよ」と渡されたのが寺山修司のショートフィルムだったのだ。
真っ裸の男児を半裸の女性二人が悪戯する、という頭がクラクラするような内容だったのだが、今まで経験したことのない、アンチモラルなエロスをビンビンに感じてしまったことをカミングアウトしよう。
そのあと、上海の娼館を舞台にした変態倒錯ムービー『上海異人娼館/チャイナ・ドール』(1980年)も鑑賞してみたのだが、正直僕はこの作品にはノレなかった。醸成されるエロスがあまりに表現主義に寄りすぎてしまって、どーにもこーにも薄っぺらい印象を受けてしまったんである。
それ以来何となく寺山作品は敬遠していたのだが、何かに導かれるようにして彼の代表作である『田園に死す』(1974年)をTSUTAYAで借りてしまい、その強烈な作風にまたもや頭がクラクラしてしまった次第。
『書を捨てよ町へ出よう』(1971年)に続く、寺山修司の第二回劇場用映画作品である『田園に死す』は、そのカルト的作風から、よく鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)と比肩されがち。
ただ、『ツィゴイネルワイゼン』が一切のアレゴリーを排したピュア・アート・フィルムだったのに対し、この『田園に死す』は、メタ的な構造をまとっている。
映画の前半部が実は映画監督となった「わたし」の撮った自伝映画の一部だったとか、三上寛が突然観客に向かって怒鳴りつけるとか、構造として「映画が映画であること」に自覚的な作品なのだ。
そのメタ構造は結局、寺山修司自身の自伝的要素が強いことに起因している。息子を溺愛する母親、 死神装束を身に纏った老婆、恐山のイタコ、ててなし子を産んでしまう村娘、白塗りの兵隊といったキャラクターたちは、魑魅魍魎が跋扈し、旧態依然とした因習が平然とまかり通る我が故郷への強烈な嫌悪によって、あーいう形で表象されたものだと推察する。
外部に滞留しない、それ自体が閉ざされている空間への嫌悪と言ってもいいだろう。それに対し、フィルター処理によってカラフルに彩られたサーカス団は、外部に放たれる羨望として記憶される。
そう考えれば、現在のわたしが母親殺しを目論むのは至極当然な流れ。しかし寺山修司は、映画の中でさえも母親を殺せないことを告白し、「本籍地:東京都新宿区新宿字恐山」と独白してしまう。
母親と向かい合って、新宿の雑踏のなか食事をするシーンなんぞ、実に直裁かつメタ的なビジュアライズだ。うーむ、ここまで自分の心情を赤裸裸に暴露してしまった映画というのも、なかなか珍しいんではないか。
『田園に死す』は、フリークス趣味に彩られたアングラムービーなのではなく、あくまで寺山修司的世界観で構築された「自分探し」なのだ。
少年時代のわたし(演じるのは『超人バロム1』に出演していた高野浩幸!)を、ててなし子を産んだ村娘が無理矢理犯すシーンを観て、僕の脳内には、「真っ裸の男児を半裸の女性二人が悪戯する」あのショートフィルムの映像がフラッシュバックのように蘇る…。
- 製作年/1974年
- 製作国/日本
- 上映時間/102分
- 監督/寺山修司
- 製作/九条映子、ユミ・ゴヴァース、寺山修司
- 原作/寺山修司
- 脚本/寺山修司
- 企画/葛井欣士郎
- 撮影/鈴木達夫
- 音楽/J・A・シーザー
- 美術/粟津潔
- 助監督/国上淳史
- 照明/外岡修
- 高野浩幸
- 八千草薫
- 春川ますみ
- 新高恵子
- 斎藤正治
- 原田芳雄
- 小野正子
- 高山千草
- 原泉
- 三上寛
- 中沢清
- 粟津潔
- 木村功
- 菅貫太郎
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