アメリカのルーツ・ミュージックがぎっしりと詰まった、ジャンキーなポップチューン
ロックンロール、ヒップホップ、カントリーミュージック、フォーク…。圧倒的な音楽的教養を、オタク的感性でポピュラリティーに還元してしまった偉大なる宅録野郎、 ベック。
「俺は負け犬さ」というネガティヴ極まりないデビューシングル『Loser』でアメリカのロック・シーンにしずしずと登場し、世界中のネクラな音楽少年に「機材さえ揃えれば、俺もメジャーになれる!」という希望を抱かせた。彼が紡ぐジャンキーなポップチューンには、アメリカのルーツ・ミュージックがぎっしりと詰まっている。
「90年代はリミックスとサンプリングの時代であった」とは良く言われることだ。たとえば、美術評論家の布施英利は、その著書「脳の中の美術館」でこう語っている。
ぼくたちの前には、膨大な量の文化遺産が蓄積されている。(中略)そんな作品群を前にして思う。ぼくたちは「遅れてきた人間」だ。
すべては、やられてしまった。もう新しい発想など生まれる余地はない。ドストエフスキー以後、いったいどんな小説が書けるというのか。レオナルドがいてピカソがいる。それ以外に何が描けるというのか。
疲弊のスピードが速い“音楽”いうジャンルにおいては、この現象はより顕著だろう。
バッハ、モーツァルト、ベートーベン…偉大なクラシックの巨人たちが築きあげた音楽という名の遺産は、後にロックというステージでポピュラリティーを獲得し、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランというスーパースターを生み出す。
彼等を凌駕する音楽など、果たしてあり得るのか。これ以上、どのような革新的な音楽がつくれるというのか。90年代ミュージック・シーンに、衝撃的なデビューアルバム『Mellow Gold』(1994年)をひっさげてベックが登場したことは、この問いにひとつの解答を示している。
ベックは、前衛芸術家のアル・ハンセンを祖父に持ち、ウディ・ガスリーやブラインド・ウィリー・ジョンソンに影響を受けて、小さな頃からブルース・ギターを弾きながら育った。
彼には、DNAレベルで高次元の音楽的素養が備わっていたのだ。バンド仲間も、スタジオも必要ない。コンピュータひとつで内的宇宙が完成する。
膨大な過去の音楽は、ベックという名のオペレーティングシステムによって再構築・再生産がなされ、サンプリングによるミクスチャー・サウンドに生まれ変わる。
もともとローカル・カルチャーに端を発するフォーク・ソングは、インターネットの発達によってその境界線を失い、世界に発信されるワールドスタンダード・ミュージックとして蘇ったのだ!!
おそらくベックには、「音楽の再生産」という意識はない。その行程は、彼にとっては肉体的感性なのだ。電脳時代のフォーク・シンガーは、声を荒げることもなく、ことさらに政治的主張をするでもなく、今日も地下室の一室で負け犬の歌を唄い続ける。
- アーティスト/Beck
- 発売年/1994年
- レーベル/Geffen
- Loser
- Pay No Mind (Snoozer)
- Fuckin’ With My Head (Mountain Dew Rock)
- Whiskeyclone, Hotel City 1997
- Soul Suckin’ Jerk
- Truckdrivin’ Neighbors Downstairs (Yellow Sweat)
- Sweet Sunshine
- Beercan
- Steal My Body Home
- Nitemare Hippy Girl
- Mutherfuker
- Blackhole
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