【ネタバレ】『英国式庭園殺人事件』(1982)
映画考察・解説・レビュー
『英国式庭園殺人事件』(原題:The Draughtsman’s Contract/1982年)は、映像の魔術師ピーター・グリーナウェイ監督の名を世界に轟かせた一作。17世紀末のイギリス。野心家で高慢な画家(アンソニー・ヒギンズ)が、美しい貴婦人から報酬と「特別な要求」を条件に、屋敷の庭園画を依頼される。しかし、彼がキャンバスにありのままを忠実に描き写した風景の中には、やがて起こる殺人事件の証拠が隠されていた。まるで一枚の絵画のように計算し尽くされたシンメトリーな映像美が、観る者を極上の謎解きへと誘う。
グリーナウェイの数学的機知とキューブリックの差異
ピーター・グリーナウェイというイギリスの異端児は、スクリーンという巨大なキャンバスの上に、様々なモチーフを意味深なオブジェとしてばらまいていく。
果物、死骸、幾何学的な庭園、そして異常なほどに装飾過剰な衣装。それらの要素はすべて、西洋絵画史やバロック様式といった文脈によって読み解かれるべき暗号として配置されている。
だからこそ、その真の面白さや象徴する意味は、我々日本人にはどうしても直感的には分かりづらい(当然僕も西洋絵画史のディティールなんてさっぱり分からん!)。
その難解な映像美の根底を強靭に支えているもの、それは極めてウィットに富んだ論理的思考)。単に「死体や裸体が出てきて何だかキモイ!」「ペダンティックでハナにつく!」ということだけで彼の作品を敬遠てしまうのは、あまりにももったいない。
数学的思考によって画面を構築する映像作家といえば、我々は真っ先に鬼才スタンリー・キューブリックの名前を思い浮かべるだろう。
元々スチール・カメラマンとしてそのキャリアをスタートさせた彼は、ありとあらゆる事物を幾何学的に、均整のとれた構図でフレームにおさめていく。シンメトリー(左右対称)に対する異様なまでの偏愛ぶりにおいては、確かにグリーナウェイとキューブリックはよく似ているかも知れない。
しかし、両者の本質は決定的に異なる。あくまで西洋絵画の基礎教養をベースに持ち合わせているグリーナウェイは、数学的な機知(パズル)を遊びとして取り入れているのであって、キューブリックのような厳格な画面設計とは無縁なのだ。
キューブリックのシンメトリーが「神の視点(あるいはシステム)の冷徹さ」を表現しているとすれば、グリーナウェイのそれは、枠組みからはみ出していく人間の欲望を嘲笑うための「悪意あるゲーム盤」なのである。
グリーナウェイの映像には、イギリス人特有のブラックユーモアと、かなり悪趣味な遊びの精神が横溢している。だからこそ、難解でありながらも、観客は知的な迷路を彷徨うような快楽を得ることができるのだ。
方眼紙越しの二項対立
ピーター・グリーナウェイの実質的な長編デビュー作である本作『英国式庭園殺人事件』(1982年)を読み解く最大のキーワードは、ズバリ“二項対立”である。
1694年、王政復古時代のイングランド。若く傲慢な画家ネヴィル(アンソニー・ヒギンズ)は、ファインダーの代わりとなるグリッド(方眼が引かれた木枠)を通して、領主ハーバート家の広大な庭園を完璧な比率でスケッチしていく。
この「視認できるもの全てを方眼紙で均等に区分して写実(コントロール)しようとする精神」と、「純粋に美なるものを追求しようとする芸術家の精神」は、本質的に決して融和することはない。
だからこそ、“美”そのものを写実的に、かつ数学的に描き出そうとする主人公ネヴィルの姿勢は、この映画において最初から致命的な矛盾を抱え込んでしまっている。彼は世界を支配している気になっているが、実際には木枠という決められたフォーマットの奴隷に過ぎない。
この映画は、そんな二者対立の構造によって支えられている。派手でグロテスクな衣装に身を包んだ傲慢な貴族たちの醜悪さと、彼らが所有する幾何学的に整えられた英国式庭園の美しさ。画家の野心と、貴族たちの階級的特権。
そして何より観客の目を奪うのが、画面の端々に現れる、謎の全裸道化者の存在だ。全身を白塗りや緑色に塗りたくり、噴水や茂みに同化しているシュールな男。
例えるなら、往年のバラエティ番組『かくし芸大会』で、銅像の役を真顔でやっているハナ肇みたいな、究極に出落ち感のあるシュールなキャラクターだ。だがこの「静(風景)」に対する「動(異物)」の対立が、作品に一見してアンビバレントで不気味な印象を与え続けている。
マイケル・ナイマンによる、ヘンリー・パーセルをベースにしたミニマルで脈打つようなバロック音楽が、この二項対立の狂騒を完璧に煽り立てる。
秩序を愛する画家が、最も無秩序な人間の欲望と陰謀の渦に巻き込まれていく過程を、グリーナウェイはまるで虫眼鏡でアリの巣を観察するかのような、意地悪な視線で切り取っていくのである。
芸術家の自滅と未完のパズル
物語の核となるのは、ハーバート伯爵が屋敷を留守にする「14日間」という期限付き契約だ。
ネヴィルは、庭園の絵を12枚描き上げる代償として、多額の報酬だけでなく、なんと依頼主であるハーバート夫人(ジャネット・スーズマン)との性的な契約までをも結んでしまう。芸術家としての傲慢さが頂点に達したネヴィルは、絵画の制作と性行為を通じて、この屋敷のすべてを支配したと錯覚していく。
だが、12枚の絵を描きあげた後、夫人との関係をさらに続けたいという下心から13枚目の絵を描くことを自ら提案してしまった瞬間、破滅の歯車は決定的に回り始める。
13枚目…すなわちキリスト教におけるユダの裏切りを連想させるこの数字の選択が、彼自身の自滅の道を開く引き金となるのは実に暗示的であり、残酷なメタファーだ。
ネヴィルは徹底した写実主義者ゆえに、目の前にある風景を一切の妥協なくグリッドの中に描き込んでいく。しかし、その描くという行為によって、彼は意図せずして「庭園に脱ぎ捨てられたシャツ」や「窓に立てかけられた梯子」といった、ハーバート伯爵の殺害を示す証拠を自らの絵の中に発見し、定着させてしまう。
絵画という純粋な美を追求する者が、その完璧さゆえに醜悪な現実の犯罪を可視化してしまい、結果としてそれを隠蔽しようとする権力者(貴族たち)の罠にハマり、文字通り葬り去られてしまうのだ。このアイロニーの切れ味こそが、本作の最大のカタルシスである。
ただ、個人的には不満もある。どうにもこうにも語り口がもったいぶっていて、中盤以降のテンポが重く、心地よいリズムに乗り切れないのだ。
ハーバート伯爵の死、ハーバート家の財産をめぐる陰謀、それにまつわる人々の画策、そして12枚の絵画。これらあらゆる事象が、ラストに向けて完璧な数学的パズルのように収束し、カチリと音を立てて謎が解けることを期待していたのだが、どうも後半は権力者たちの陰謀話として終わってしまったような気がしてならない。
結局のところ、我々観客は最後までミステリーとしての明快な解答を与えられず、グリーナウェイがスクリーンにばらまいた暗号を読み解くという、絵画観賞的なアプローチを執拗に要求され続ける。
かくして、ラストシーンで道化者が謎めいた笑みとともに吐き捨てたパイナップルの味(エキゾチックな富の象徴、あるいは不条理な現実の味)は、永遠に解けないパズルとして、観客の想像の海へと丸投げされた。
完璧な絵画が完成したとき、画家は死ぬ。この残酷で美しい論理の果てに、我々は映画という名の巨大な迷宮に取り残されるのである。まさに、底知れぬ魅力と疲労感を同時に味わわせる、グリーナウェイ流の極上サイコスリラーだ。
- 監督/ピーター・グリーナウェイ
- 脚本/ピーター・グリーナウェイ
- 製作/デヴィッド・ペイン
- 撮影/カーティス・クラーク
- 音楽/マイケル・ナイマン
- 編集/ジョン・ウィルソン
- 美術/ボブ・リングウッド
- 衣装/スー・ブレイン
- 英国式庭園殺人事件(1982年/イギリス)
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