『黒猫・白猫』(1998)
映画考察・解説・レビュー
『黒猫・白猫』(原題:Crna mačka, beli mačor/1998年)は、旧ユーゴスラヴィア出身の映画監督エミール・クストリッツァが手がけた、バルカン半島を舞台にした破天荒なコメディ。マフィアの息子ザーレ(フロリアン・アイディーニ)が、借金に追われる父マトゥコとともに、結婚詐欺や密輸取引に巻き込まれていくさまを、民族音楽とともに奔放なユーモアで描く。やがて恋人アフロディタ(ブランカ・カティッチ)との逃避行が始まり、騒々しい結婚式、動物たちの乱入、銃撃戦など、混沌と祝祭が交錯するカオスの世界が炸裂する。第55回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞し、社会の崩壊と生命の祝福を同時に描いたバルカン映画の金字塔として高く評価された。
生と死のカーニヴァル
『黒猫・白猫』(1998年)は、ユーゴスラヴィア出身の映画作家エミール・クストリッツァが、旧体制崩壊後のバルカンを舞台に描いた混沌のコメディだ。
社会の秩序が崩壊し、国家の理念が瓦解したあとにも、なお人々は踊り、歌い、恋をする。その生のエネルギーを、クストリッツァは“お祭り騒ぎ”として映像化した。
彼の映画では、常に「生」と「死」が同じフレームに共存する。葬式では楽隊が演奏し、結婚式では喧嘩が起こる。悲劇と喜劇、誕生と破滅が同時進行する世界。これは単なるドタバタではなく、クストリッツァの“無秩序の哲学”そのものだ。
『黒猫・白猫』では、主人公ザーレがマフィアの叔父グリガと金と恋愛と詐欺の渦に巻き込まれていく。その奔流の中で重要なのはプロットの整合性ではなく、“生命のリズム”である。観客は物語を理解するのではなく、音と動きと喧噪によって体感する。
クストリッツァの映画世界は、秩序を拒む。その混乱こそが、彼にとってのリアリズムであり、民族の歴史を反映した“生の形”なのだ。
リズムとしての現実
音楽はクストリッツァ映画の心臓である。『黒猫・白猫』を貫くのは、ゴラン・ブレゴヴィッチ率いるブラスバンドの圧倒的サウンドだ。
トランペット、チューバ、アコーディオンが鳴り響き、リズムは常に地面の振動と結びつく。洗練とは無縁の、粗野で、土臭く、時に耳障りな音楽。だがこの“うるささ”こそが、バルカンの現実を体現している。
ハリウッド映画がサウンドトラックを“感情の補助線”として使うのに対し、クストリッツァは音楽を“現実の一部”として置く。つまり、音が物語を導くのではなく、音そのものが出来事を生成する。
リズムが登場人物の行動を支配し、音が風景を決定づける。ここでは、映画が一種の“生理的運動”として成立している。カメラが楽器の拍子に合わせて揺れ、編集がリズムを刻み、映像そのものが音楽化していく。
こうした演出は、クストリッツァが信じる“共同体の身体性”を可視化するものだ。バルカンの民衆にとって、生とはリズムであり、音楽であり、騒音である。『黒猫・白猫』は、その身体的真実を映画的リズムで再現している。
善悪二元論の解体
映画のタイトルが示すように、「黒」と「白」という対立構造は、本作ではまったく意味をなさない。善と悪、貧と富、愛と憎しみ――それらの境界はすべて曖昧に混ざり合う。
ザーレは犯罪組織の一員でありながら、純粋な恋に突き動かされ、腐敗した大人たちの世界に巻き込まれる。だがその“混沌”は、決して悲劇として描かれない。むしろ、世界が生きている証拠として祝祭化される。
クストリッツァのユーモアは、シニカルでも風刺的でもない。道徳や秩序を超えた“無邪気な笑い”に支えられている。彼のカメラは、馬鹿げた人間の行動を突き放さず、同じリズムの中で共に踊る。
つまり、この映画の“笑い”は観察ではなく参加である。観客は、混沌を笑うのではなく、混沌に取り込まれていく。そこにあるのは、倫理的相対主義ではなく、生命の循環への肯定だ。
崩壊の時代における祝祭
『黒猫・白猫』は、旧ユーゴスラヴィアが解体され、民族対立が激化する時期に制作された。
だが、クストリッツァは政治的メッセージを語らない。彼は国家の崩壊を“悲劇”ではなく、“人間の回帰”として描く。人は制度を失っても、音楽と笑いと欲望によって生き延びることができる――それが本作の思想的中核である。
この“非政治的映画”という選択は、同時代のヨーロッパ映画においても異例だった。戦争や民族紛争を直接扱うのではなく、身体のエネルギーそのもので抵抗する。クストリッツァにとって映画とは、社会分析の道具ではなく、生存の実感を記録する装置なのだ。
踊る老人、口論する家族、爆発する車、喋る動物。これらの“無意味な出来事”が積み重なることで、観客は一つの確信に至る――「混沌の中にも秩序がある」。その秩序とは、文化でも国家でもなく、生命そのもののリズムである。
終わらないカーニヴァル
『黒猫・白猫』の結末に、静寂は訪れない。登場人物たちは騒音の中で笑い、走り、叫び、音楽が鳴り続ける。
それは終わりなき“生の運動”の表現であり、クストリッツァ映画に共通するモチーフだ。『アンダーグラウンド』(1995年)でも、『ライフ・イズ・ミラクル』(2004年)でも、世界は常に動き続け、止まることを拒む。
彼にとって映画とは、物語を語るものではなく、エネルギーを放出する場である。だから『黒猫・白猫』には、登場人物の成長も、倫理的救済も存在しない。あるのはただ、生命が回転し続ける映像的リズムだけなのだ。
- 原題/Black Cat、 White Cat
- 製作年/1998年
- 製作国/フランス、ドイツ、ユーゴスラビア
- 上映時間/130分
- ジャンル/ドラマ
- 監督/エミール・クストリッツァ
- 脚本/ゴルタン・ミヒッチ
- 製作/カール・バウムガルトナー
- 製作総指揮/マクサ・チャトヴィッチ
- 撮影/ティエリー・アルボガスト
- 音楽/ネレ・カライリチ、ヴォイスラフ・アラリカ、デーシャン・スパラヴァロ
- 編集/スヴェトリク・ミカザイッチ
- 美術/ミレンコ・イェレミッチ
- 衣装/ネボイシャ・リパノヴィッチ
- 録音/ネナド・ヴカディノヴィッチ
- ブランカ・カティク
- フロリアン・アジニ
- リュビシャ・アジョヴィッチ
- サブリ・スレジマニ
- ジャセール・デスタニ
- アドナン・ベキール
- ザビト・メメドッフスキ
- サリア・イブライモヴァ
- サリア・イブライモヴァ
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