時間と記憶を交錯させながら出口のないゴールに向かう、観念的な物語
吉田喜重は、無時間性と戯れる作家だ。
彼が紡ぐ物語は、いっさいの時間的規制から解き放たれ、自由に過去と未来を行き来する。『嵐が丘』以来、14年ぶりにメガホンをとった『鏡の女たち』においては、「記憶喪失」というメカニズムを映画内で作動させることにより、無時間性をさらに増幅してみせる。「記憶喪失」とは、時間の喪失そのものなのだから。
その無時間性は、オープニングにも顕著だ。まるで生ける者全て死に絶えたかのような、静寂に包まれた住宅街。吉田喜重の重要なモチーフである「日傘」を差した岡田茉莉子が、幽霊のような足取りで、ゆっくりとバス停に向かう。彼女を追う車のフロントガラスに映り込む、新緑の木々。
しかし、運転者の顔はいっさい見えない。映画的アクションがいっさい剥奪された、スタティックなカットの連続。僕はこの冒頭のシークエンスで、強烈に無時間性を意識した。
時間を喪失した女(田中好子)に対し、彼女を自分の実娘と信じて疑わない岡田茉莉子は、過去の記憶を付与することによって、歴史を再生させようとする。
しかし、そもそも彼女がホントの娘かどうか分からないんだから、偽りの歴史を強制インプットさせんとする、かなりハタ迷惑な行為。
耐えきれなくなった田中好子は、何度も「本当の親子かどうかハッキリさせるために、DNA検査をしてください」と懇願するが、岡田茉莉子は親子ゲームを止めようとはせず、養子縁組すらもちかける始末だ。
田中好子の脳内にかすかに残っている「波打ち際の病院」に向かうため、岡田茉莉子、田中好子、一色紗英の三人は広島に向かう。
一色紗英は元カレに「これは私にとって、自分のアイデンティティーを探し求める旅だ」と語るが、そもそもアイデンティティーとは「過去に遡ることによって、現在の自分を捉え直す行為」。
過去が封印された田中好子は、岡田茉莉子の語る「被爆の記憶」を共有することはできても、自分自身の時間を取り戻すことはできない。
過去にひきずられている岡田茉莉子、現在にしか自分の居場所を見いだせない田中好子、未来に羽ばたこうとする一色紗英。自分が存在意義を見いだす時間軸がそれぞれ異なることによって、不可思議なねじれが生成される。
これは祖母・母・娘による三世代の女性ドラマとみせかけて、時間と記憶を交錯させながら出口のないゴールに向かおうとする、極めて観念的な物語なのだ。要はまあ、いつもの吉田喜重節ってことなんですが。
- 製作年/2002年
- 製作国/日本
- 上映時間/129分
- 監督/吉田喜重
- 製作/成澤章、綾部昌徳、高橋松男
- プロデューサー/高田信一、尾川匠、フィリップ・ジャキエ、霜村裕
- 企画/吉田喜重、高橋松男
- 脚本/吉田喜重
- 撮影/中堀正夫
- 美術/部谷京子
- 編集/吉田喜重、森下博昭
- 音楽/原田敬子
- 岡田茉莉子
- 田中好子
- 一色紗英
- 山本未來
- 北村有起哉
- 三條美紀
- 犬塚弘
- 西岡徳馬
- 室田日出男
- 石丸謙二郎
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