デヴィッド・リンチが放つ、強烈なナイトメア・ムービー
天国では何もかも叶うわ。
あなたも私も思い通りのもが手にいれられるの
異形のオタフク少女が、薄暗いステージ上でアッパラパーな唄を歌いながら、天井から落ちてくる精子を踏みつける。
もはやシュールを通り越して、ドラッギーなトリップ感覚。ミッドナイト・ムービーの先駆けともいえる作品が、この『イレイザーヘッド』(1976年)なんである。
『ツイン・ピークス』(1990年〜1991年)で空前のブームを巻き起こした映画界最強のカルト監督、デヴィッド・リンチの長篇デビュー作。リハーサルを実生活にまで持ち込んだために、奥さんに逃げられてしまったという笑えないエピソードもアリ。これも若き日のリンチが、如何にこの作品に情熱とエネルギーを注いでいたかという証左ではないか。
ストーリーはナイトメアそのものである。いや、正確に言うならばリンチの紡ぎ出す強烈な悪夢の羅列といった方が正確かも知れない。
舞台はフィラデルフィアの工業地帯、あたりは常に耳障りなノイズ音で満たされている。 内向的な青年、ヘンリーはある日仕事の帰りにガールフレンドのメアリーの家に出かけ、そこで彼女の妊娠の事実を聞かされる。
やがて彼は、彼女と産まれた赤ん坊と三人暮しを始めるが、その赤ん坊が世にも恐ろしいグロテスクな奇形児。メアリーは赤ん坊の夜泣きに耐え切れず、家を出ていってしまう。
一人残されたヘンリー。このあたりからストーリーはより混迷を極めていく。 ラジエーターに棲んでいるおたふく少女が何やら無気味な唄を歌いだし、転がり落ちたヘンリーの頭部が消しゴムの原料となり(何じゃそりゃ)、
ついにはヘンリーは、赤ん坊の心臓に刃物を突き立てる。一つ一つのシークエンスに脈絡は無く、永遠に続くかのようなインダストリアル・ノイズが、不安をかきたてていく…。
さて、気になるのはこの世にも無気味な「赤ん坊」の正体である。牛の胎児だとか、精巧なミニチュアだとか様々な諸説があって、あのスタンリー・キューブリックもどうやって撮影したのかを知りたがったらしい。
1978年にデヴィッド・リンチへのインタビューで、それに言及している部分があるので引用してみよう。
「あの赤ん坊はリンチさんがつくったんですか?」
「いや、申し訳ないがそのことについては話したくない。」
「あれが作り物なのかどうかを教えてくれればいいんですよ。まるで本物みたいでしたね。牛の胎児ではないか、という人もいるそうですが…。」
「そうらしいね。」
「でも、私は作り物だと思うんです。どうやってあんなにリアルに動かせたのかが分からないんですが。電池で動かしているんですか?」
「だから、言えないんだよ…」
うーむ、嫌でもいろいろ勘ぐりたくなるインタビューではないか。あらぬ想像をさせてしまう、まさにミッドナイト・ムービーのカガミなのである。
『イレイザーヘッド』は、リンチのフリークスへの偏愛がフィルムを通じて伝わってくる作品だ。人間を一片の肉隗として描く狂乱の画家、フランシス・ベーコンをリンチになぞらえる人も多いが、根底にあるものは違うように思える。
彼は人間を突き放していない。むしろ温かく包み込む。この姿勢は後の『ツイン・ピークス』でも一貫している。若き日のリンチの映画に対するみずみずしさは、常人とはやや異なったアプローチで昇華しているのである。
『ブルーベルベット』(1986年)や『マルホランド・ドライブ』(2001年)もいいが、通過儀礼としてこの映画を無視してリンチは語れやしない。
- 原題/Eraser Head
- 製作年/1977年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/90分
- 監督/デヴィッド・リンチ
- 脚本/デヴィッド・リンチ
- 製作/デヴィッド・リンチ
- 音楽/ピーター・アイヴス
- 編集/デヴィッド・リンチ
- SFX/デヴィッド・リンチ
- 美術/ジャック・フィスク
- 撮影/ハーバード・カードウェル、フレデリック・エルムズ
- ジャック・ナンス
- シャーロット・スチュアート
- アレン・ジョゼフ
- ジーン・ベイツ
- ジュディス・アンナ・ロバーツ
- ローレル・ニア
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