『時計じかけのオレンジ』(1971年/スタンリー・キューブリック)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『時計じかけのオレンジ』(原題:A Clockwork Orange/1971年)は、スタンリー・キューブリック監督がアンソニー・バージェスの同名小説を映画化した、映画史を語る上で絶対に外せないディストピアSF。近未来を舞台に、仲間たちと夜な夜な暴力と破壊の限りを尽くす少年アレックスが、投獄された後に国家の恐るべき洗脳プログラム「ルドヴィコ療法」の実験台にされていく様を、ポップな美術とクラシック音楽の大音響と共に描き出す。
未来世紀のミック・ジャガー
1960年、イギリスの作家アンソニー・バージェスは医師から、脳腫瘍で余命一年という絶望的な診断を下された。残される妻の生活費を稼ぐため、彼は狂ったような勢いでタイプライターを叩きまくる。
その極限状態から産み落とされた劇薬小説こそが、『時計じかけのオレンジ』だ(後にこの診断は誤りだったと判明するが、死の淵で人間の暴力性と自由意志を描き切ろうとしたという事実は、この作品に異常なまでの凄みを与えている)。
そして1971年、スタンリー・キューブリックがこの小説を映画化。彼のフィルモグラフィーの中でも最も論争的で、最も挑発的で、そして最もキューブリック的なバケモノ映画の誕生である。
物語の中心に君臨するのは、マルコム・マクドウェル演じる若き不良グループのリーダー、アレックスだ。ナッドサットと呼ばれるロシア語混じりの奇妙なスラングを操り、右目だけに付けまつげを施し、股間を異様に強調した白いユニフォームに身を包む。そしてルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを神のように崇拝している。
彼は仲間(ドルーグ)を引き連れ、ウルトラ・バイオレンス(超暴力)とセックスを純粋な快楽として追い求めて夜の街を徘徊。その姿は、社会的には完全無欠のクズであるにもかかわらず、観客の目には抗いがたい魅力を持ったダークヒーローとして映ってしまう。これぞまさに、未来世紀のミック・ジャガー!
公開された1970年代初頭のイギリスは、モッズやロッカーズ、フーリガンといった若者たちの享楽的暴力が、モラル・パニックとして大人たちを震え上がらせていた時代。
音楽シーンでは、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが〈悪魔を憐れむ歌〉で反逆の象徴として君臨していた。アレックスはまさしくロックスター的なカリスマを一身に背負い、スクリーンに降臨したのである。
さらには時代がパンクへと雪崩れ込んだ後、セックス・ピストルズのポール・クックが本作への愛を公言したように、アレックスは「管理社会に中指を立てる反逆的カリスマ」の完全なる原型となったのだ!
倫理をブッ壊す、暴力の美学
キューブリックは一貫して、人類に内在する暴力の正体を描き続けてきた作家だ。
『突撃』(1957年)では軍隊というシステムの不条理な暴力を、『博士の異常な愛情』(1964年)では核兵器による人類滅亡の滑稽さを笑い飛ばし、『2001年宇宙の旅』(1968年)では人類進化の第一歩を「猿人が骨の棍棒で仲間を殴り殺す」という原初的暴力行為として提示してみせた。
そしてこの『時計じかけのオレンジ』において、キューブリックの暴力描写はついに倫理や社会批評の枠組みを完全にブチ破り、観客の感覚そのものを直接ハックする。
その象徴が、作家邸への襲撃シーンだろう。アレックスはジーン・ケリーの名曲〈雨に唄えば〉をゴキゲンに歌い踊りながら、作家を不具にし、その目の前で妻をレイプする。
極悪非道な悲惨さと、ミュージカル映画のようなポップさが背徳的に結びついたこの場面で、観客は強烈な嫌悪感と謎の高揚感の狭間に突き落とされるのだ。
さらには、女性2人をナンパして乱交するシーンを高速度撮影コミカルな無声映画のように処理したり、ライバルギャングとの乱闘をまるで優雅なクラシック・バレエのように振り付ける演出。
これらはすべて、観客の脳内にある道徳的なリミッターをすり抜け、「暴力が美しい」という禁断の果実を強制的に食べさせる、悪魔的メソッドである。
この狂った美学を完璧に完成させているのが、ウェンディ・カーロス(当時のクレジットはウォルター・カーロス)による画期的な電子音楽だ。
ベートーヴェンやロッシーニの荘厳なクラシック楽曲が、モーグ・シンセサイザーの冷たく粘着質な重低音によって再構築される。第九の「歓喜の歌」が、アレックスにとっては強姦と破壊のための最高のBGMとして鳴り響く。
高尚な芸術が最も卑俗な暴力へと転化し、音楽が観客を暴力の共犯者へと仕立て上げる。キューブリックが仕掛けたこの極悪なアイロニーの前に、我々はただひれ伏すしかないのだ。
ルドヴィコ療法が突きつける究極のパラドックス
仲間に裏切られて投獄されたアレックスは、刑期短縮と引き換えにルドヴィコ療法という名の洗脳実験の被験者となる。まぶたを強制的にこじ開けられ、目薬をさされながら、暴力やセックスの映像を延々と見せられ続けるのだ。
薬物の副作用によって、彼は暴力的な衝動を抱くだけで、死ぬほどの吐き気と激痛に襲われる身体へと魔改造されてしまう。さらに最悪なことに、彼が愛してやまないベートーヴェンの「第九」を聴いただけで、身体が拒絶反応を起こすようになってしまったのだ。
国家の徹底した管理によって、アレックスは社会にとって無害な模範的市民へと生まれ変わる。だが、それは自由意志の完全なる剥奪であり、彼を単なるゼンマイ仕掛けの機械(=時計じかけのオレンジ)に変えてしまったことに他ならない。
釈放されたアレックスを待ち受けていたのは、かつての被害者たちや、警官となった昔の仲間からの容赦ない逆襲だった。暴力を完全に去勢された彼は、一切の反撃ができず、ただ血反吐を吐きながら痛めつけられるただのサンドバッグへと成り下がる。
社会の安全のために個人の自由意志を完全に奪い去る国家権力(全体主義)と、自由意志を持ったまま無軌道な暴力を振りまく凶悪犯。お前は一体どっちの世界がマシなんだ?と、キューブリックは観客の喉元に鋭いナイフを突きつけてくる。
『時計じかけのオレンジ』は、暴力と美、自由と管理、快楽と倫理という、絶対に相容れない矛盾を極限まで増幅させた、真性鬼畜映画である。観客はスクリーンから放たれる圧倒的な毒を前に、拒絶と陶酔の両方を同時に強制されるのだ。いや、それって最高じゃんね?ね?ね?
もしお前の周りに「この映画って暴力礼賛で不道徳だから嫌〜い」などと薄っぺらいことを抜かす奴がいたら、アレックスよろしくステッキでその頭をぶん殴ってやれ!殴ってよし!
- 監督/スタンリー・キューブリック
- 脚本/スタンリー・キューブリック
- 製作/スタンリー・キューブリック
- 制作会社/ワーナー・ブラザース、ポラリス・プロダクションズ
- 原作/アンソニー・バージェス
- 撮影/ジョン・オルコット
- 音楽/ウォルター・カーロス
- 編集/ビル・バトラー
- 美術/ラッセル・ハッグ、ピーター・シールズ
- 衣装/ミレーナ・カノネロ
- 現金に体を張れ(1956年/アメリカ)
- 突撃(1957年/アメリカ)
- スパルタカス(1960年/アメリカ)
- ロリータ(1962年/アメリカ、イギリス)
- 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(1964年/イギリス、アメリカ)
- 2001年 宇宙の旅(1968年/アメリカ)
- 時計じかけのオレンジ(1971年/イギリス)
- バリー・リンドン(1975年/イギリス、アメリカ)
- シャイニング(1980年/イギリス、アメリカ)
- フルメタル・ジャケット(1987年/アメリカ)
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