SF映画のパラダイムシフトとなった、伝説的カルトムービー
近未来のロスアンゼルス。酸性雨が降り注ぎ、街はどぎついネオンに彩られている。多種多様の民族が混在し、荒涼たる閉塞感が漂う。
『ブレードランナー』(1982年)でまず我々は、シド・ミードの手による細部までにこだわりぬいた近未来都市のビジュアルに圧倒される。サイバーパンクかつアジアンゴシックな世界観(なんてったって強力わかもとが有名です)は以降のクリエイター達に大きな影響を与えた。SF映画の潮流は、『ブレードランナー』以前と以後で大きく変わってしまったんである。
伝説的SF作家フィリップ・K・ディックの短編、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』(1968年)を原作にした本作は、実に切実なテーマを内包した映画だ。
自己のアイデンティティーを探し求めるレプリカントたちは、哀しい存在。数年間の寿命しか与えられていない彼等は、作業用ロボットとして重労働に従事させられ、精神的・肉体的苦痛を強いられている。
そして突如反乱を起こし、自らを造った創造主・タイレルに問いかけるのだ。「我々はなぜ生まれてきたのか?」と。これは有史以来、我々人間が神に問いかけてきたテーゼそのものではないか。
決して融和することのない人間とレプリカントの対立…すなわち、「異人種との対立」というテーマは、監督リドリー・スコットが一貫してこだわってきたテーマでもある。
『エイリアン』は異星人そのものズバリとの対立だったし、『ブラックレイン』の主人公マイケル・ダグラスは日本という特殊な文化を持つ国に対し疎外感を覚え、日本人そのものに対しても相容れぬものを感じていた。
『テルマ&ルイーズ』は男対女というジェンダーの対立だったし、『グラディエーター』では貴族と奴隷との階級制度が弊害として存在していた。
ハリソン・フォード演じるブレードランナーは、レプリカント専門のスゴ腕警官。だが彼は自分がレプリカントであることを知らないタイレル社の秘書レイチェルとの出逢いにより、自らの存在意義にも疑問を持つようになっていく。
自分の「記憶」は本当に自らが実体験した「記憶」なのだろうか?彼は次第に、レプリカントに対してある種のシンパシーを感じるようになっていく。
哲学はエンターテイメントとして最終的に昇華する。痛快娯楽作品とは言い難い内容の『ブレードランナー』は、公開当時ヒットしなかったものの、そのハードなSF観が一部マニアを中心に熱狂的支持を厚め、カルトムービーとしてメジャーに認知された作品である。
以降『ブレードランナー完全版』、『ブレードランナー最終版』とオリジナルを含めて計3本のヴァージョンが存在するが、個人的にはハリソン・フォードのモノローグをカットしてよりハードボイルド色を強調した『最終版』がオススメ。
「想い出はやがて消えていく…涙のように…」
あまりにも有名なルトガー・ハウアーの最後セリフだも、オリジナル版だと「なぜ彼は俺を助けたのだろう?多分、命というものを大切にしたくなったのだろう。それが、たとえ俺の命であっても」というハリソン・フォードのモノローグがインサートされている。
これじゃあ、観客の想像を喚起させる部分を剥奪してしまっているんじゃあなかろうか。ハードSFの決定版としては、『最終版』に勝るものはない。
- 原題/Blade Rnner
- 製作年/1982年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/117分
- 監督/リドリー・スコット
- 製作/マイケル・ディーリー
- 製作総指揮/ブライアン・ケリー、ハンプトン・ファンチャー
- 原作/フィリップ・K・ディック
- 脚本/ハンプトン・ファンチャー、デヴィッド・ピープルズ
- 撮影/ジョーダン・クローネンウェス
- SFX/ダグラス・トランブル、リチャード・ユーリシッチ、デヴィッド・ドライヤー
- 音楽/ヴァンゲリス
- 美術/ローレンス・G・ポール、デヴィッド・L・スナイダー
- ハリソン・フォード
- ルトガー・ハウアー
- ショーン・ヤング
- エドワード・ジェームズ・オルモス
- M・エメット・ウォルシュ
- ダリル・ハンナ
- ウィルアム・サンダーソン
- ブライオン・ジェームズ
- ジョセフ・ターケル
- ジョアンナ・キャシディ
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