キューブリックの底意地の悪さがスパークする、エキセントリックでキッチュなピカレスク・ロマン
キューブリックは過剰な作家だ。彼は、映画を構成するあらゆるファクターを、目盛りいっぱいまで増幅させる。しかも底意地悪く。
ウィリアム・メイクピース・サッカレーのピカレスク・ロマン『バリー・リンドン』(1975年)も、彼の手にかかれば型通りの文芸作品の枠にはおさまらない。どこかしらエキセントリックでキッチュなセンスが、画面全体に露出してしまう。
フェルメールの絵画に出てきそうな、豪奢な貴婦人たち、気品高くゴージャスな衣装。そして、レンブラントを思わせるバロック絵画風映像。照明器具をいっさい使わず、屋外シーンは自然光、屋内シーンはロウソクの光だけで撮影したという話は有名だ。
アカデミー賞撮影賞、美術賞、衣裳デザイン賞を受賞したのもナットクなぐらい、全てが美しい。いや、美しすぎる。美の臨界点を超えると、逆に滑稽さが浮き彫りになることを、キューブリックは知り尽くしていた。『バリー・リンドン』は、典雅ゆえにコメディー足り得ているんである。
その過剰さは、役者の演技にも飛び火する。豊かな胸にリボンを隠して「どこにあるか探してごら~ん!」と純朴な少年をたらしこむ娘、妙に紳士然とした追いはぎ親子、夜な夜なカード遊びに興じる厚塗り化粧の公爵。彼らの突飛すぎるキャラクターは、過剰な衣装と過剰な演技によって補強される。
対して主人公レイモンド・バリーを演じるライアン・オニールが、あまりに凡庸すぎるデクノボー演技なのは、座標軸ゼロの無色透明性を帯びることによって、相対的にその他登場人物のキャラ立ちが保証されるという構造ゆえなのである。
キューブリックはいつだって、シニカルな視点からイノセンスを嘲笑する。ナイーヴなアイルランド青年が野望に燃えて立春出世する物語と思いきや、愛息を事故で失うわ、決闘で左足を切断するわ、最終的にリンドン家から追い出されるわと、悲惨極まりない末路を遂げるという筋立てに、彼は激しく共振したに違いない。
その意味で、キューブリックの底意地の悪さがスパークする第二部のほうが、キューブリックイズムがより色濃く反映されているといえる。
もともとキューブリックは、ナポレオンの生涯を映画化することに意欲を燃やし、その準備にも余念がなかった。しかし、バジェットが天文学的数字にまで膨れ上がってしまい、プロジェクトは画餅に帰してしまう。
18世紀ヨーロッパを舞台にした超大作というアウトラインは、この『バリー・リンドン』にスピンアウトした訳だが、もし彼が『ナポレオン』を実際に完成していたら、いったいどんな映画に仕上がっていたんだろうか。
おそらくナポレオンは徹底的に猜疑心が強く、見栄っ張りで、独占欲の強いチビ男として描かれたに違いない。ナポレオンをめぐる人間たちの様々な欲望が交差する、ブルーチーズのように濃厚な映画になったに違いない。
人間嫌いの映画監督が描く人間模様ほど、辛辣でシニカルなものはないのだ。
- 原題/Barry Lyndon
- 製作年/1975年
- 製作国/イギリス
- 上映時間/185分
- 監督/スタンリー・キューブリック
- 原作/ウィリアム・メイクピース・サッカレー
- 脚本/スタンリー・キューブリック
- 製作/スタンリー・キューブリック
- 共同製作/バーナード・ウィリアムズ
- 製作総指揮/ヤン・ハーラン
- 撮影/ジョン・オルコット
- 衣装/ミレーナ・カノネロ、ウルラ=ブリット・ショダールンド
- 編集/トニー・ローソン
- 音楽/レナード・ローゼンマン
- ライアン・オニール
- マリサ・ベレンソン
- パトリック・マギー
- スティーヴン・バーコフ
- マーレイ・メルヴィン
- ハーディ・クリューガー
- レナード・ロシター
- アンドレ・モレル
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