理想主義的なタッチで描かれる、キューブリック的反戦映画
いけしゃあしゃあとシナリオを自分一人の功績にしてしまうあたり、キューブリックの陰険かつ高慢な性格が垣間見えるが、さすがはカーク・ダグラスから「才能あるクソッタレ野郎」というありがたくない呼称を頂いた男だけのことはある。
完全に裏切られた形のジム・トンプソンだが、それでもキューブリックの次回作『突撃』(1957年)に再びシナリオ参画したのは、カネのためだった。
今でこそ暗黒小説の巨人として揺るぎない地位を誇っているものの、生前のジム・トンプソンは世間から評価されることなく、なけなしの金で酒に溺れる生活をしていたんである。彼の極貧ぶりを見透かして、スタッフとして再招集してしまうあたりに、キューブリックの冷徹な計算が見え隠れする。
原作は、ハンフリー・コッブの反戦小説『栄光の小径』。第一次世界大戦時のフランスで、3人の兵士が無理な作戦の責任をとらされて銃殺刑になったという実話がベースになっている。
もともとはステファン・ツヴァイクの『燃える秘密』の映画化を予定していたものの、配給会社のMGMの経営不振により計画が中止。代わりにキューブリックが14歳のときに読んだ『栄光の小径』を映画化することになったという。
かくして出来上がった『突撃』は、彼のフィルモグラフィーのなかでも、実に異質な作品に仕上がっている。キューブリック的なシニカリズム、ニヒリズムの影はどこにもなく、純情なほどに理想主義的なタッチ。
この映画は、「一国のメンツのために、個人が犠牲になっていいのか?」という、ある種のディスカッション・ドラマにもなっている。僕は初見時、「こんな一本気なまでにストレートな作品を、本当にキューブリックが撮ったのか?」と驚いたものだ。
しかしながら丹念に観ていくと、キューブリック・タッチがそこかしこに刻印されていることに気づく。ドイツ軍の堅固な要塞「アリ塚」の突撃シーンを、完全横移動のカメラで捉えたシーンは彼らしいダイナミズムなタッチが拝めるし、銃殺刑を明日に控えた兵士が、牧師に「性欲がなくなった」と嗚咽しながら告白するシーンには特異なユーモア感覚がある。
キューブリックの完全主義的演出もこの頃から発揮されていたらしく、死刑囚の最後の晩餐シーンは何度もテイクが撮り直され、遂に役者がマジキレしたというゴキゲンなエピソードが残っている(キューブリックはこれを否定しているようだが)。
美学的で無機質で理知的で嘲笑的、という彼の作家性からは考えられないほど、実直な反戦映画の『突撃』。だがキューブリックイズムの萌芽は確実にここにある。我々熱狂的スタンリー・キューブリック・ファンは、まずはそれを発見することから始めるべし。
ちなみに蛇足ながら、最後に酒場で歌を歌うドイツ人歌手を演じたスザンヌ・クリスチャンは、キューブリックの後の夫人である。さすがはキューブリック、映画製作中にあっても、ラブ・アフェアーもぬかりなく完璧主義を徹底しております!
- 原題/Paths of Glory
- 製作年/1957年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/87分
- 監督/スタンリー・キューブリック
- 製作/ジェームズ・B・ハリス
- 原作/ハンフリー・コッブ
- 脚本/スタンリー・キューブリック、カルダー・ウィリンガム、ジム・トンプソン
- 撮影/ゲオルグ・クラウゼ
- 音楽/ジェラルド・フリード
- カーク・ダグラス
- ラルフ・ミーカー
- アドルフ・マンジュー
- ジョージ・マクレディ
- ウェイン・モリス
- リチャード・アンダーソン
- ティモシー・ケリー
- スザンヌ・クリスチャン
- バート・フリード
- ジョセフ・ターケル
- ジェリー・ホースナー
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