『ウォール・ストリート』(2010年/オリバー・ストーン)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『ウォール・ストリート』(原題:Wall Street: Money Never Sleeps/2010年)は、オリバー・ストーンが監督を務めた『ウォール街』(1987年)の続編。インサイダー取引などの罪で長期の服役を終えて出所した元大物投資家ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)と、彼の娘ウィニー(キャリー・マリガン)の婚約者である若きプロップ・トレーダーのジェイコブ・ムーア(シャイア・ラブーフ)を中心に物語が展開。ゲッコーは疎遠になった娘との関係修復を条件にジェイコブと協力関係を結び、再びウォール街の金融ゲームへと関与していく。
“強欲は善”のアップデート
刑務所の重いゲートが開き、一人の初老の男がシャバへと放たれる。かつてウォール街を牛耳った金融の帝王、ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)その人だ。
彼が看守から返却される私物の中に、レンガブロックのように巨大な1980年代のモトローラ製携帯電話が混ざっているシーンに、僕は思わず吹き出してしまった。
たった一つの秀逸な小道具だけで、技術革新の凄まじい速度と、彼が完全に時代に取り残された亡霊であることが、雄弁すぎるほど観客に叩き込まれる。リムジンで迎えに来る家族や部下など一人もいない。最強のカリスマだった男は、ただの孤独な老いぼれとしてニューヨークの雑踏へと消えていく。
前作『ウォール街』(1987年)でゲッコーが言い放つ「強欲は善(Greed is good)」は、80年代アメリカのイケイケ拝金主義の象徴であり、彼の代名詞でもあった。
だが、2008年のリーマン・ショックを経て、オリバー・ストーンはその強烈なアイコンを意図的に反転させてみせる。ゲッコーは講演会で若者たちに向かって「かつて私は強欲は善だと言ったが、今や強欲“合法になってしまった!」と吠えるのだ。
そう、80年代のウォール街が金と欲の神殿だったとすれば、2010年代のウォール街は実体のない金融商品がアルゴリズムによって取引される、情報と電脳の迷宮へと変貌してしまっていた。
かつての巨悪であったゲッコーですらドン引きするほど、現代の金融資本主義はモラル・ハザードを起こし、システムそのものが怪物化。オリバー・ストーンは、時代の臨界点に反応する最強センサーとして、この続編で倫理なき熱狂のアップデートを完璧に果たしてみせた。
映像ドラッグとしての金融資本主義
オリバー・ストーン監督は『JFK』(1991年)や『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994年)などで、常に映像表現の破壊と革新を狂ったように求めてきた作家だ。本作においてもそのギラギラぶりは健在。目に見えない金融取引という行為を、エンターテインメント映像へと力技で変換してのけている。
画面を分割するスプリット・スクリーンによって複数の人物の焦燥感を同時に描き出し、数字の羅列に過ぎない株価の乱高下を、摩天楼のシルエットや心電図の波形とオーバラップさせる。
光の帯が都市の神経ネットワークを猛スピードで駆け抜けるオープニングのシークエンスは、現代の資本主義そのものを「血も涙もない巨大な電子生命体」として描き出した。
絶え間なく飛び交う情報の洪水と、それに踊らされて破滅していく人間たちの分裂したリズムを、視覚的なドラッグとして観客の脳髄に直接ブチ込むための極めて計算された演出だ。
さらに、サウンドトラックにはデヴィッド・バーンとブライアン・イーノの楽曲がフィーチャーされ、80年代のトーキング・ヘッズを彷彿とさせる音響空間が作り出されている。
ストーン自身の映画史的な回帰とも言えるこの音楽設計は、映像との完璧な同期を果たし、80年代の狂騒的な享楽と、2010年代の底なしの空虚を強引に架橋してしまう。
社会批判という重いテーマを掲げながらも、最終的には映画的なスタイルの快楽で観客をノックアウトしてしまうストーンの過剰さ。それこそが、ウォール街という欲望のシステムを何よりも的確に表現している。
クリーンすぎる若者と曖昧になった「悪」の境界線
本作の最大の弱点は、主人公である若きトレーダー、ジェイコブ(シャイア・ラブーフ)の人物像があまりにも直線的でクリーンすぎることにある。
恩師を死に追いやった冷酷な金融王ジェームズ(ジョシュ・ブローリン)に復讐を誓い、クリーンエネルギーの未来を本気で信じるジェイコブ。彼は誠実で正義感の強い好青年として描かれるが、魑魅魍魎が蠢く現代の金融資本主義のド真ん中で戦う主人公としては、いささか清潔すぎてリアリティに欠けるのだ。
前作でチャーリー・シーンが演じたバド・フォックスが、ゲッコーの放つ悪魔的な魅力に取り憑かれ、理想と欲望の狭間で血の涙を流して引き裂かれていたのに対し、ジェイコブにはその泥臭い内的闘争が決定的に欠如している。
自分が善人であることに微塵も疑いを持たない彼は、結果的に現代資本主義の曖昧な倫理を体現しきれていない。だからこそ、映画の中盤でチャーリー・シーン本人がカメオ出演し、すっかり金と女に囲まれた堕落したオッサンとしてゲッコーと再会するシーンが、映画史的メタ・ジョークとして皮肉を放ちまくっているのだ。
ジェイコブの葛藤が薄い分、キャリー・マリガン演じるゲッコーの娘・ウィニーの存在が、この冷たいマネーゲームの世界に一抹の生身の温度を与えている。
だが、物語の結末はどこかスッキリしない。ゲッコーが「人生で最も大切なのは家族だ」と涙ながらに語り、娘の資産を騙し取って見事な大復活を遂げた後、最終的にはその大金の一部を慈善団体に寄付して「いいお爺ちゃん」としてファミリーに迎え入れられる。
一見すると更生の物語のようだが、冗談じゃない!これは善意が悪を包み込み、悪が善を巧みに模倣して生き延びるという、現代資本主義の最もグロテスクで不気味な構造そのものではないか。
『ウォール・ストリート』は、資本主義の分かりやすい「悪」の物語が終焉したあとに何が残るのかを描いた、恐ろしい試みである。かつて「強欲は善」と叫ばれた時代は去り、今や強欲そのものが社会のシステムの中に完全に吸収され、合法化されてしまった。
善悪の境界がドロドロに溶解した世界で、オリバー・ストーンは再びゲッコーを蘇らせ、我々にこう告げている。「お前たち自身が、システムに飼い慣らされたゲッコーの再来なのだ」と。
- 監督/オリバー・ストーン
- 脚本/アラン・ローブ
- 製作/エドワード・R・プレスマン、エリック・コペロフ
- 製作総指揮/セリア・コスタス、アレックス・ヤング、アレサンドロ・キャモン
- 撮影/ロドリゴ・プリエト
- 音楽/クレイグ・アームストロング
- 編集/ジュリー・モンロー、デヴィッド・ブレナー
- 美術/クリスティ・ズィー
- 衣装/エレン・マイロニック
- ウォール街(アメリカ)
- JFK(1991年/アメリカ)
- ウォール・ストリート(2010年/アメリカ)
- ウォール街(アメリカ)
- ウォール・ストリート(2010年/アメリカ)
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