アメリカ片田舎の家族の物語を、人類の歴史と重ね合わせて描かんとする、極めて壮大な試み
「わたしが大地を据えたとき、おまえはどこにいたのか」
旧約聖書ヨブ記38章4節
テレンス・マリックには、音楽的才能に恵まれた弟がいた。スペインの著名なギタリストのアンドレス・セゴビアに弟子入りし、将来を嘱望されたという。
音楽家志望だった父親も、叶わなかった夢を息子に託し、おおいに期待をかけた。だが、その期待はやや過度すぎた。弟は己の才能の限界を感じ、自ら命を落とすという悲劇的結末を迎える。
テレンス・マリックが受けた衝撃は想像に難くない。やがてその哀しみは、弟を精神的に追いつめた父親への憎悪に転化する。やがて映画監督となったテレンス・マリックは、己を治癒すべく、そして父親とのトラウマを克服すべく、『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)と名付けられた一本の映画を製作する。
本編のショーン・ペンはマリック自身であり、ブラッド・ピットは厳格な父親であり、ジェシカ・チャステインは優しい母親であり、3人の少年たちはかつての自分の兄弟たちだ。
映画の舞台となるテキサスの郊外、自宅そばにそびえる巨大なカシの木は、マリック家族の成長を見届けてきた象徴として描かれる。
ところがこの映画が相当にヤッカイなのは、カシの木が表象しているモノが、アダムとイヴが追放されたエデンの園にそびえる大樹である、ということ。進化の系統樹としての“ツリー・オブ・ライフ”である、ということだ。
アメリカ片田舎の家族の物語を、人類の歴史と重ね合わせて描かんとする、極めて壮大な試み。「アンタ、どんだけスケールをデカくしたいねん!」と思わずツッコミたくなるほどだが、ハーバード大学で哲学を専攻し、マサチューセッツ工科大学で哲学の講師を務めていたテレンス・マリックにとっては、日常の思索の成果として自然な流れなのだろう。
とはいえ、ガスから惑星ができるだの、海に生命が誕生する瞬間だの、『2001年宇宙の旅』(1968年)や『未知との遭遇』で知られるSFX界の巨匠ダグラス・トランブルをわざわざ招いて作られた、宇宙生成イメージがインサートされると、観ているこっちはもうクエスチョンマークが点滅しまくり。
川べりで倒れている恐竜を、もう一匹の恐竜が補食せずに見逃すシーンは、「恐竜だって慈悲の心を宿しているのだから、我々人間が赦しの心を失うはずがない」というテレンス・マリックの叫びだろうか?超絶的に美しく圧倒的なイメージの羅列に戸惑いながらも、我々観客も活発な思考を余儀なくされる。
やがて大人になった自分(=ショーン・ペン)は、勤務している会社のエレベーターで最上階まで行く天国に導かれ(何で!?)、父と母、そして自分を含めた少年時代の3兄弟に出会う。
父親を赦し、母親の無限の愛に触れる、至福のひととき。このシーンを撮ることによって、テレンス・マリックは自らも救済されるのだ。
映画は神への語りかけに終始する。それは、テレンス・マリックの私的な祈りそのもの。それを商業映画という形式で表出するとは、なんとまあ公私混同な作品なんだろうか。
しかしながら、僕は『ツリー・オブ・ライフ』に問答無用で惹かれてしまう。宿命的に吸い込まれてしまう。極めて個人的な祈りが、普遍的な祈りとして世界中に響き渡ることもあるのだ。たぶん。
- 原題/The Tree of Life
- 製作年/2011年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/138分
- 監督/テレンス・マリック
- 脚本/テレンス・マリック
- 製作/デデ・ガードナー、サラ・グリーン、グラント・ヒル、ブラッド・ピット、ビル・ポーラッド
- 製作総指揮/ドナルド・ローゼンフェルト
- 音楽/アレクサンドル・デプラ
- 撮影/エマニュエル・ルベツキ
- 編集/ハンク・コーウィン、ジェイ・ラビノウィッツ、ダニエル・レゼンデ、ビリー・ウェバー、マーク・ヨシカワ
- ブラッド・ピット
- ショーン・ペン
- ジェシカ・チャステイン
- フィオナ・ショウ
- ハンター・マクラケン
- ララミー・エップラー
- タイ・シェリダン
- カリ・マチェット
- ジョアンナ・ゴーイング
- キンバリー・ウェイレン
- ジャクソン・ハースト
- クリスタル・マンテコン
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