ロン・ハワードが敗軍の将になることを受け入れた、“世紀の失敗作”
『ダ・ヴィンチ・コード』(2005年)は、『天使と悪魔』に次ぐ「ロバート・ラングドン」モノのシリーズ2作目。世界中で7000万部を売り上げた超ベストセラー小説である。
ルーブル美術館で発生した謎の殺人事件を足がかりにして、レオナルド・ダ・ヴィンチと秘密結社の関連性をつまびらかにしていく物語は、上質なサスペンスの醍醐味に溢れていた。
日本でも、単行本・文庫本の合計発行部数が1000万部を超えて大ヒット。にわかに起きたダ・ヴィンチ・ブームに乗っかって、当時やたらテレビでダ・ヴィンチの特別番組が放送されたものである(そしてやたらと荒俣宏が登場していた)。
当然ハリウッドがこの金脈に目を付けない訳がなく、監督にロン・ハワード、出演にトム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、ジャン・レノという米仏のスターを揃え、万全の体制で映画化。
映えある第59回カンヌ国際映画祭オープニング作品に選ばれるなど、世間からの注目も非常に高いものがあった。だが残念ながら、『ダ・ヴィンチ・コード』は映画化が決まった時点で、傑作には成り得ない運命だったんである。
西洋美学&キリスト宗教学の、ペダンティックな知識の洪水。鑑賞者の理解力にはおかまいなしに、「原作の膨大な情報量を、どのように詰め込んでいくのか?」が『ダ・ヴィンチ・コード』最大の難問だった訳だが、そんなのどうしたって負け戦に決まっている。
ハリウッド随一のヒット・メーカー、ロン・ハワードは敗軍の将になることを受け入れたうえで、思い切った戦略を立てた。
つまり、フィナボッチ数列だの、クリプテックスだの、アナグラムだのといった暗号解読シーン(この原作の最もキモとなるファクターなのだが)をハショりまくり、原作にはない派手なカー・チェイスなども散りばめて、純粋に映画的であらんとしたのである。
イアン・マッケラン演じる宗教史学者が聖杯の秘密を語るシーンや、トム・ハンクスがクリプテックスの謎を解き明かすシーンなど、下手な監督が演出すれば映像として退屈になってしまうであろう状況説明シーンを、大胆なCGを使って徹底的にわかりやすくしようとした姿勢は“買い”。
が、しかし。完成品は、それでも原作を読んでいない人にとっては何が何だかさっぱり分からない、脱落者続出の映画になってしまった。
ゴールデンラズベリー賞の最悪監督賞にノミネートされたり、プレス向け試写会で失笑がもれるなど、映画版『ダ・ヴィンチ・コード』は“世紀の失敗作”として表舞台から消え去りつつある。
しかし、この映画の失敗なんぞハナから分かりきっている訳で、個人的にはロン・ハワードに同情することしきりである。
かつてヒッチコックは、
アガサ・クリスティーに代表されるような本格推理小説は、映画的な面白さに還元できない
という趣旨の発言をしていた。優れたディテクティブ・ストーリーは決して優れたミステリー映画に成り得ないことを、サスペンスの神様はよくご存知だったのである。ロン・ハワードに非があるとするなら、それは彼の演出にあるのではなく、監督を受諾したことにあるのではないか。
- 原題/The Da Vinci Code
- 製作年/2005年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/150分
- 監督/ロン・ハワード
- 製作総指揮/トッド・ハロウェル
- 製作/ブライアン・グレイザー、ジョン・キャリー
- 原作・製作総指揮/ダン・ブラウン
- 脚色/アキヴァ・ゴールズマン
- 撮影/サルヴァトーレ・トチノ
- 美術/アラン・キャメロン
- 編集/ダン・ヘンリー、マイク・ヒル
- 音楽/ハンス・ジマー
- 衣装/ダニエル・オーランディ
- トム・ハンクス
- オドレイ・トトゥ
- イアン・マッケラン
- アルフレッド・モリーナ
- ユルゲン・プロホノフ
- ポール・ベタニー
- ジャン・レノ
- ユルゲン・プロフノウ
- エチエンヌ・シコ
- ジャン=ピエール・マリエール
- セス・ガベル
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