「さあゲームの始まりです」と、声高らかに警察に挑戦状を叩き付けたのは、酒鬼薔薇聖斗と名乗る神戸の少年だったが、「オレハ人間ヲコロスノガ好キダ」という鬼畜メッセージを暗号で新聞社に送りつけたのは、黄道十二宮を意味するゾディアックと名乗る男だった。
無差別殺人をメディアを使って予告するという前代未聞の劇場型犯罪は、ベトナム戦争の傷跡癒えぬ’60年代のアメリカを恐怖のドン底にたたき落とす。
さらに事件は新聞社専属の漫画家ロバート・グレイスミスによって書籍化され、その存在はもはや伝説と化す。『ダーティハリー』(1971年)に登場する異常殺人者スコルピオのモデルが、ゾディアックであることはあまりにも有名な話。
僕の敬愛するデヴィッド・フィンチャーが、次回作で『ゾディアック』を撮ると聞いた時には、期待と不安が錯綜したものだ。
キリストの七つの大罪をモチーフにしたサイコ・サスペンスの傑作『セブン』(1995年)を上梓した彼にとって、題材は言わずもがなのジャストミート。唯一の不安は、この事件が現在に至るまで解決されていない、という一点にあった。
犯人は誰なのか?そもそも犯人はなぜこのような凶行に及んだのか?真相は今に至るまで闇の中。猟奇殺人事件を扱った映画で、犯人が最後まで分からないというのでは、カタルシスもへったくれもないではないか!
っつー訳で、てっきり映画ではフィクショナルな要素を巧みに織り込んだ、本格サスペンス・スリラーに仕立て上げるんだろうと予期していたんだが、予想はものの見事に外れてしまいました。
ハリウッド屈指のオルタネイティヴ・フィルムメーカー、デヴィッド・フィンチャーが選択したのは、ジェイク・ギレンホール、ロバート・ダウニーJR、マーク・ラファロという渋すぎる演技派を揃えた、徹底的なリサーチに基づくドキュメンタルな作品であり、ゾディアック事件に魅入られた男たちを描いた重厚な人間ドラマ。
だからこそ、ジェイク・ギレンホールとクロエ・セヴィニー演じる妻との夫婦の不和といった、ドラマチックでもなんでもないシークエンスも丁寧に描き込んでいるのだ。
フィンチャーはこの作品の製作にあたって、ウォーターゲート事件を描いた映画『大統領の陰謀』を参考にしたらしい。めくるめくようなカメラワークや、派手な視覚効果は封印され、70年代のハリウッド産サスペンス映画を思わせる硬質な語り口が、一寸の緩みもない緊張を生成している。
登場人物が数多く入り乱れる複雑な物語を、ここまでまとめあげてしまう力量にはただただ感服する次第。
しかし僕のこの映画に対する不満は、フィンチャーが連続殺人事件に振り回される男たちの群像劇にアングルを絞ったことではなく、むしろそのアングルを絞りきれなかったことにある。
ジェイク・ギレンホールが元映画技師を尋ねるシーンで、彼が真犯人なのではないかと恐怖におののくシーンを例に挙げるまでもなく、ところどころにサスペンス映画としてのあざとい演出が垣間見え、ドキュメンタルな説話法に一貫性がないのだ。
どんなにサスペンスフルなシーンにおいても、抑制の効いた演出を崩さなかった『大統領の陰謀』との差はここにある。
特に『パニック・ルーム』以降、意識的にデヴィッド・フィンチャーは演出スタイルを変質させている。それは、ハリウッドでも巨大な存在になりつつある“デヴィッド・フィンチャー”という枠に、自らをはめてしまうことへの強烈な拒否反応だ。
だがその核となる、オルタネイティヴなオリジンはいささかも消えうせてはいない。『ゾディアック』は、指向したドキュメンタル・タッチを逸脱するぐらいに、強烈すぎる個性が時に顔を覗かせてしまう。
そうだ、フィンチャーよ、もっとハジけろ!無軌道・無鉄砲、超OK!『ゾディアック』は決して完成された傑作とは思わないが、その暴走ぶりにかえって僕は、次回のフィンチャー作品に大いなる期待を寄せてしまうのだ。
- 原題/Zodiac
- 製作年/2007年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/158分
- 監督/デヴィッド・フィンチャー
- 製作/マイク・メダヴォイ、アーノルド・W・メッサー、ブラッドリー・J・フィッシャー、ジェームズ・ヴァンダービルト
- 製作総指揮/ルイス・フィリップス
- 原作/ロバート・グレイスミス
- 脚本/ジェームズ・ヴァンダービルト
- 音楽/デヴィッド・シャイア
- 衣装/ケイシー・ストーム
- 編集/アンガス・ウォール
- ジェイク・ギレンホール
- マーク・ラファロ
- ロバート・ダウニー・Jr
- アンソニー・エドワーズ
- ブライアン・コックス
- イライアス・コティーズ
- クロエ・セヴィニー
- ドナル・ローグ
- ジョン・キャロル・リンチ
- ダーモット・マローニー
- リッチモンド・アークエット
- ボブ・スティーヴンソン
- ジョン・テリー
- ジョン・ゲッツ
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