神をも恐れぬ殺人鬼を描く、ドス黒さに満ちたフィルム
まだ中学生の頃、深夜テレビでやってた『復讐するは我にあり』(1979年)をダラ見してたら、三國連太郎が倍賞美津子の乳房を後ろから鷲掴みするシーンに遭遇し、童貞ボーイとしてメガトン級の衝撃を受けた記憶あり。
まるで獣姦のような、土着的エロス。それ以来、今村昌平という名前を聞くたびに、「倍賞美津子のおっぱい」を条件反射的に想い浮かべるようになってしまった。倍賞美津子のおっぱい、倍賞美津子のおっぱい、倍賞美津子のおっぱい、倍賞美津子の…(以下省略)。
今回20年ぶりに『復讐するは我にあり』を見返してみた訳だが、やっぱ今村昌平が描くセックス・シーンって、かなりヘンだと思う。正常位よりも後背位多めなのは、そういう趣味だからか?
北村和夫が小川真由美シーンを犯すシーンなんぞ、横たわりながらお互い逆方向にのけぞってたりして、どういう体位なんだかさっぱり分からん。このあたりにも、今村昌平の被虐趣味が色濃く反映されていると思う。
決定的なのは、緒形拳に首を絞められながら、小川真由美が恍惚の表情で「遠くへ…」とつぶやくシーン。昔観たときには、「ははあ、このヒトは現世で生きる喜びがないもんだから、愛する人に絞め殺されるのが嬉しいんだろうなー」と思ったものだが、今改めて見返してみると、実は単なるマゾプレイなんじゃないか、と思ってみたり。今村映画では、肉体的な痛みを伴って初めて生の喜びを見いだすんである。
ネチネチ・ドロドロした粘着質の演出は、いかにも今村昌平らしさが充満しているが、時折眼を見張るようなカットもサインサートされており、観る者の脳内に強烈な印象を残す。
特に、オレンジ色に光る夕暮れの空を背景に、ツナギの長靴が吊るされてるカットは、強烈な「死への渇望」が表象された出色のシーンだと思う。この映画における死生観は、極めて観念的だ。
そもそもこの『復讐するは我にあり』は、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説を映画化したもの。深作欣二、黒木和雄、藤田敏八といった名だたるフィルムメーカーが映画化を希望し、佐木に了承を求めたという。
最終的には、正式に契約を交わした今村昌平が映画化権を獲得した訳だが、「悪魔の申し子」と形容された実在の連続殺人犯・西口彰の半生には、それだけ人を惹きつけてやまない引力が働いていたのだろう。
リアリティーの確保には妥協を許さない今村昌平は、実際に西口彰が殺人を犯したアパートで、ロケ撮影を敢行したそうな。ドス黒さに満ちたこの映画は、見事配給収入6億円を記録し、1979年度のキネマ旬報ベストテン1位を獲得。
神をも恐れぬ殺人鬼の物語を紡ぐにあたって、今村昌平もまた神をも恐れぬ所業を犯し、映画的成功を収めたのである。
- 製作年/1979年
- 製作国/日本
- 上映時間/140分
- 監督/今村昌平
- 製作/井上和夫
- 脚本/馬場当、池端俊策
- 助監督/新城卓、北西洋一、森安建雄、中田信一郎
- 撮影/姫田真左久
- 録音/吉田庄太郎
- 美術/佐谷晃能
- 音楽/池辺晋一郎
- 編集/浦岡敬一
- 記録/石黒健治
- 緒形拳
- 三國連太郎
- 小川真由美
- 倍賞美津子
- ミヤコ蝶々
- 清川虹子
- フランキー堺
- 加藤嘉
- 殿山泰司
- 北村和夫
- 絵沢萌子
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