『ゴッドファーザー PART II』は、当然『ゴッドファーザー』(1972年)のヒットを受けて製作された「二匹目のドジョウ」的発想ではあるが、コッポラの資質がより鮮明に発揮されているのはこっちなんではないか。
マフィアのドンとしてさらに勢力の拡大をはかるマイケル・コルレオーネと、回想シーンのような形で挟まれるビトー・コルレオーネの青年時代をカットバックでみせていく手法は、パート2ものとしてはかなり異色。
エスカレートされるはずの暴力シーンは意外に少なく、濃厚な人間ドラマとしてのコルレオーネ・ファミリーの歴史がそこにある。
興味の中心は、すっかり冷徹極まる殺人鬼と化したマイケルの豹変ぶり。妻からは離婚を申し込まれ、身内や側近すら信じられない彼は、ワンマン独裁者としての道を突き進むことになる(他の映画ではキレ役の多いアル・パチーノも、ここでは狂気を内に秘めた粘膜質の演技がいい感じ)。
『ゴッドファーザー』では「家族の絆」を描いたコッポラは、『パート2』では「家族の崩壊」を描いてみせる。ドラマツルギーは悲劇に向かって直進していくのだ。
おそらくこれだけでは、かなりやるせなかったドラマを救っているのが、ビトー・コルレオーネの青年時代のシークエンスだ。 20世紀初頭のリトル・イタリーを舞台にした格調高い物語は、現代の極彩色豊かなキューバのシーンと鮮やかな対称を成す。
カットバックという技法はやたら乱用すると観客が時間軸を見失って混乱する一因になるが、コッポラはツボを押さえた編集でテンポよくみせる。さすが職人ですね。
キリスト教圏では肉親殺しは重罪だが(聖書のカインとアベルの物語に起因しているのだろう)、マイケルはこの作品で兄殺しという大罪に手を染める。
地獄行きのチケットを確約してしまった彼には、これからの人生に何の光も差し込んでこない(それゆえにパート3はさらに悲劇的な作風にならざるを得なかった)。ファミリーを守るために、肉親を殺してしまうというパラドックスが、この映画を支える根幹である。
イタリアン・マフィアの内実という興味だけでもドラマを構築できた第一作と比較し、本作ははるかにプロットつくりが困難であったことは容易に推測できる。
コルレオーネ・ファミリー盛衰記ではなく、マイケル・コルレオーネの苦悩にスポットを絞った展開は、それだけに鮮やかであり豊かだ。
栄光に包まれた「ゴッドファーザー」シリーズの方向性を、最も明確に指し示しているのは、おそらくこの『パート2』である。
- 原題/The Godfather PartII
- 製作年/1974年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/200分
- 監督/フランシス・フォード・コッポラ
- 脚本/フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ
- 原作/マリオ・プーゾ
- 製作/アルバート・S・ラディ
- 撮影/ゴードン・ウィリス
- 音楽/ニーノ・ロータ
- 美術/ディーン・タボラリス、アンジェロ・グレアム、ジョージ・R・ネルソン
- 編集/ピーター・ジマー、バリー・マルキン、リチャード・マークス
- アル・パチーノ
- ロバート・デュバル
- ダイアン・キートン
- ロバート・デ・ニーロ
- ジョン・カザール
- タリア・シャイア
- リー・ストラスバーグ
- モーガナ・キング
- エイブ・ビゴダ
- トム・ロスキー
- リチャード・ブライト
- ダニー・アイエロ
- トロイ・ドナヒュー
- ジェームズ・カーン
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