「アキ・カウリスマキの大ファン」として知られる、クレイジーケンバンドの“のっさん”こと小野瀬雅生が、バンドのCDをファンレター代わりに送ったところ、カウリスマキに気に入られ、『ハワイの夜』と『Motto Wasabi』が、『過去のない男』(2002年)のサウンドトラックに収録されたのは有名な話。
イースタンユースの吉野寿も、フェイバリット・フィルムに『過去のない男』を挙げているからして、ミュージシャンを魅了する吸引力をこのフィルムは備えているらしい。
記憶を失った男が社会性を獲得していく物語は、もうそれだけで問答無用に感動的。97分という上映時間のあいだ、我々は一人の男が初めて友を得、初めて住む場所を得、初めて仕事に就き、初めて恋に落ちる瞬間を目撃する。
「記憶喪失モノ」では定番とも言える自分探し的エピソードが、『過去のない男』では皆無だ。マルク・ペルトラは過去に自分を追い求めるのではなく、未来に可能性を見いだしていく。淡々とした佇まいのなかに、我々は慎ましくも力強い生命讃歌を見るんである。
またこの物語は、コミュニティー復権の物語でもある。ヘルシンキに流れ着いたマルク・ペルトラに対し、コンテナ暮らしの貧民層、救世軍、レストランの主人、溶接工、弁護士…ありとあらゆる人々が救済を与えていく。
何てったって、この映画に登場する人物は、何を言われても「いいですよ~」と容易に他者を容認するのだ(もちろん職安の職員や警察官など何人かの例外はいるが)!
もちろん、実生活においては”社会”という外部へアクセスするのはこれほど簡単ではない。だから、この映画は多分に寓話性を含んでいる。例えば、マルク・ペルトラが救世軍の音楽隊を家に招いて、ジュークボックスでロック・ミュージックを聴かせる場面(個人的に一番好きなシーンです)。
カメラは横に並んだ四人のバストショットをとらえ、手や足でリズムをとるカットをインサートし、興奮に満ちた表情を見せるバストショットに再び戻る。ベタといえばベタ、リアリズムの対極に位置するような場面だが、寓話的な演出を施すことによって、喜びに満ち満ちたシーンになっている。
『過去のない男』には「オフビート」という表現がついてまわるが、刹那的なニュアンスを含んでいるこのワードには、個人的に違和感を覚える。
これは寓話なのだ。とびっきりチアフルで、カラフルな寓話。初めてスクリーンに登場した時は、サディスティックな蟹江敬三似のブサイク看守だったカティ・オウティネンが、物語が進行するに連れて本当に“いい女”に見えてくるのも、寓話だからこそ。
ティモ・サルミネンによる色彩感溢れるカメラが、マジカルな世界観を保証する。
- 原題/Mies Vailla Menneisyytta
- 製作年/2002年
- 製作国/フィンランド、ドイツ、フランス
- 上映時間/97分
- 監督/アキ・カウリスマキ
- 製作/アキ・カウリスマキ
- 脚本/アキ・カウリスマキ
- 撮影/ティモ・サルミネン
- 美術/マルック・ペティレ、ユッカ・サルミ
- 編集/ティモ・リンナサロ
- 衣装/オウティ・ハルユパタナ
- 録音/ヨウコ・ルッメ、テロ・マルンベリ
- マルク・ペルトラ
- カティ・オウティネン
- ユハニ・ニエミラ
- カイヤ・パカリネン
- サカリ・クオスマネン
- アンニッキ・タハティ
- エリナ・サロ
- アンネリ・サウリ
- オウティ・マエンパー
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