『恋愛小説家』(1997年/ジェームズ・L・ブルックス)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『恋愛小説家』(原題:As Good as It Gets/1997年)は、名匠ジェームズ・L・ブルックスが監督・脚本・製作を務め、孤独で毒舌な男の再生をユーモアに満ちた視点で描き出したヒューマン・ドラマ。ニューヨークに住む人気恋愛小説家のメルヴィン・ユドール(ジャック・ニコルソン)が、ウェイトレスのキャロル(ヘレン・ハント)、隣人の画家サイモン(グレッグ・キニア)との交流によって、人生の新たな価値を見出していく。第70回アカデミー賞で、作品賞を含む7部門にノミネートされ、ジャック・ニコルソンが主演男優賞、ヘレン・ハントが主演女優賞をダブル受賞を果たした。
- 第70回アカデミー賞:主演男優賞、主演女優賞
- 第55回ゴールデングローブ賞:作品賞(ミュージカル・コメディ部門)、主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)、主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
- 第71回キネマ旬報(外国映画):第6位
地雷原を歩く偏屈男と、聖なる獣バーデル
『恋愛小説家』(1997)という邦題は、詐欺レベルに上品すぎる。原題は『As Good as It Gets(これ以上ない最良)』。つまり、「クソみたいな人生だけど、これくらいが最高なんだよ」という、諦念と希望がない交ぜになった、もっとヒリヒリした物語なのだ。
主人公メルヴィン(ジャック・ニコルソン)は、恋愛小説の巨匠でありながら、実生活では人類最悪の差別主義者にして、重度の強迫性障害(OCD)を患う孤独な男だ。
歩道の継ぎ目を踏めない、他人のカトラリーを使えない、手を洗うたびに新品の石鹸を下ろし、気に入らない人間には容赦なく毒を吐く。彼は世界を自分を汚染するノイズとして憎悪し、マンハッタンの高級マンションを要塞化して引きこもっている。
隣人のゲイの画家サイモン(グレッグ・キニア)の愛犬を、ダストシュートに放り込んでしまう非道っぷり。ここまで最低最悪な主人公も珍しい。
だが、ニコルソンはその嫌悪感を逆手に取り、神経質な眉の動きと、時折見せる子供のような怯えで、この怪物を愛すべきクソ野郎へと昇華させてしまう。
この堅牢な要塞を内側から食い破る最初のトリガーとなるのが、ブサ可愛い愛犬バーデルだ。サイモンが入院し、嫌々預かることになったこのブリュッセル・グリフォンは、メルヴィンのルールなどお構いなしに懐き、餌をねだる。
ベーコンひとかけらで尻尾を振るバーデルに対し、メルヴィンはピアノを弾きながら「いい子だ」と語りかける。これは、他者を拒絶し続けてきた男が、初めて自分を否定しない存在と接触し、愛という名のウイルスに感染した瞬間。
バーデルこそは、この映画における最初の救世主なのである。
反エロスの輝き──ヘレン・ハントという圧倒的現実
本作のヘレン・ハントは、ジュリア・ロバーツやメグ・ライアンといった当時のロマコメ女王たちが持っていた「ファンタジーとしての美」とは対極に位置する。彼女がスクリーンに持ち込むのは、生活の垢が染み付いたリアリティだ。
ウェイトレスのキャロルは、喘息持ちの息子と貧困という圧倒的な現実を背負い、色気やロマンなどという甘えを捨て去った、生活の戦士だ。『ツイスター』(1996年)で、牛が空を飛ぶ竜巻の中を生き延びた彼女にとって、ジャック・ニコルソンの毒舌などそよ風にも等しい。
圧巻なのは、土砂降りの雨の中、ずぶ濡れのTシャツ姿でメルヴィンの部屋を訪ねるシーン。透けた下着が見えるこの場面、通常の映画なら安っぽいお色気シーンとして消費されてしまうはず。
だが、彼女が演じると、それは性的な誘惑ではなく、なりふり構わず生きる人間の生命の証として立ち上がる。彼女の肉体には、労働と疲労、そして母性という重力が宿っているのだ。
もしこれがアンジェリーナ・ジョリーだったら、スクリーン全体が官能の嵐になっていたことは確実。ヘレン・ハントだからこそ、そこに清潔な羞恥と、切実なエロスが宿るのだ。
そして物語の中盤、暴行を受けて手の機能を失い、絶望の底にいた画家サイモンが、入浴中の彼女をモデルにスケッチを始めるシーン。ここでの彼女のヌードは、欲望の対象ではない。失われた創造性を呼び覚ますミューズの化身だ。
彼女の背中のライン、生活に疲れた肩の線。それらはただの肉の塊ではなく、他者が懸命に生きているという証明そのものとして、サイモンの瞳に光を取り戻させる。
「見る」という行為が、性欲から共感へと昇華される瞬間。この美学的な転換点こそが、本作をただのロマコメから傑作へと押し上げ、アカデミー賞主演女優賞をもたらした理由である。
映画史に残るパンチラインと不完全な幸福
ジャック・ニコルソンが放つ、「君は、僕にいい人間になりたいと思わせてくれた」というセリフは、映画史に残る最強の殺し文句だろう。
「愛している」でも、「君が美しい」でもない。他者をノイズとして排除し、自分だけで完結していた傲慢な男が、初めて自分の不完全さを認め、「君のために変わりたい」と願う。これは、自己愛の塊だった男の完全なる敗北宣言であり、同時に人間への再生宣言なのだ。
脚本家のマーク・アンドラスとジェームズ・L・ブルックスが練り上げたこのセリフは、恋愛映画における「愛の定義」を書き換えたと言っても過言ではない。
ラストシーン、二人は早朝のパン屋で焼き立てのパンを買いに行く。メルヴィンは相変わらず歩道の継ぎ目を気にして歩いているし、キャロルの生活苦が魔法のように解決したわけでもない。ただ、温かいパンという日常と、少しだけマシになった未来があるだけだ。
欠落したピースが完全に埋まることなんてないけど、だが、誰かと一緒に歩くことで、その凸凹(でこぼこ)を笑い合えるなら、たぶん、それで十分なのだ。
ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントは、それぞれ主演男優・女優賞を受賞した。それは、ハリウッドがまだ大人の恋の苦味と深みを理解し、不完全な人間たちへの賛歌を謳うことができたという、良き時代の証明なのである。
参考文献・出典
- 監督/ジェームズ・L・ブルックス
- 脚本/マーク・アンドラス、ジェームズ・L・ブルックス
- 製作/ジェームズ・L・ブルックス、ブリジット・ジョンソン、クリスティ・ズィー
- 製作総指揮/ローレンス・マーク、リチャード・サカイ、ローラ・ジスキン
- 撮影/ジョン・ベイリー
- 音楽/ハンス・ジマー
- 編集/リチャード・マークス
- 美術/ビル・ブルゼスキー
- 衣装/モリー・マギニス
- 恋愛小説家(1997年/アメリカ)
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