【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
冒頭から、パーシー・スレッジの歌う『When a Man Loves a Woman(男が女を愛する時)』が響き渡り、英国軍兵士ジョディ(フォレスト・ウィテカー)が、ブロンド美女と遊園地でイチャつくシーンで幕を開ける『クライング・ゲーム』。
だがこのラヴ・ソングは、観客を男女のラヴ・アフェアー映画にミスリードさせる周到なワナ。いやホント、ボーっとしていて申し訳なし。
本編のファム・ファタールであるディル(ジェイ・デイヴィッドソン)が、夜のバーでしっとりと『クライング・ゲーム』を歌っている時に、僕は“彼女”が“彼”であることに気づくべきだった。何せこの曲は、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージのヒット・ナンバーなのだから!
推理小説には、「奇妙な味」と呼ばれる変格ミステリの一種があるが、『クライング・ゲーム』もまたジャンルレスな魅力を放つ奇妙な映画である。
拉致られたジョディと、IRA兵士のファーガス(スティーヴン・レイ)の密やかな友情。ファーガスとディルの決して結ばれ得ない共闘関係。歯切れの良いサスペンス。
全てのファクターが、「サソリは溺死すると分かっていても、自分を背負って海を渡るカエルを毒針で刺してしまう。なぜなら、それがサソリの性(さが)だから」という、不可思議な小咄に収斂する。ある種この映画は、ウィアードでストレンジなムードに包まれた現代のフェアリーテールなのだ。
アイルランド出身のニール・ジョーダン監督は、『俺たちは天使じゃない』や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』など、濃厚な絵作りで知られる異能の映画作家だが、『クライング・ゲーム』では特にその独特の美意識が隅々まで散布されている。
ディルがバーで歌唱するシーンの耽美的陶酔感は、ほとんど『ツイン・ピークス』におけるシェリー・クルーズの歌唱シーンの域。うーむ、この豊潤かつ濃厚な香りはデヴィッド・リンチ系か。
ファーガスを、土木作業員として高層ビルの建築現場で働かせることによって、縦構図も意識的に取り込むなど、空間処理にも余念がない。
奇妙極まりないこの映画を支えるのが、(登場時)はボサボサの長髪と甘ったるいで、どー見ても腕利きの殺し屋には見えないファーガス役のスティーヴン・レイ。
ボブ・ディランを思わせる出で立ちと、茫洋としたキャラは、ややハード・ランディング気味な結末すら、なぜだか納得させられてしまう説得力を付与している。
これが映画初出演、というか芝居自体が生まれて初めてだった!という衝撃デビューを飾ったディル役のジェイ・デイヴィッドソンに至っては、何をいわんや。
デレク・ジャーマン監督の打ち上げパーティで見出されたという、このシンデレラ・ボーイがいなければ、この映画は100%成立せず。カルーセル麻紀みたく、モロッコで性転換手術を受けなくても、ナチュラル・ボーンでオンナの色気が出せる殿方っているもんなんだねえ。
ジェイ・デイヴィッドソンは、その後『スターゲイト』で太陽神「ラー」を演じたあと、加齢により両性具有的外見を失ってしまい、今では完全にフツーのオッサン化してしまったらしい。
ファーガスが長い服役期間を経て出所したら、出迎えにきたのが人相の変わり果てた中年オヤジだったら…。「映画のその後」を想像するとちょっと嫌です。
とにもかくにも、「男の友情」でも「男女の恋愛」でもない第三のカンケイを、妖しくもロマンティックな筆致体で描いたこの『クライング・ゲーム』は、一見に値する野心作であることは間違いなし。この奇妙な感覚は、ハリウッド発のアメリカ映画ではまずお目にはかかれない。
さすがは懐の広い大英帝国、ヤング・カルチャーは映画でも音楽でもパンキッシュなり!
- 原題/The Crying Game
- 製作年/1991年
- 製作国/イギリス
- 上映時間/112分
- 監督/ニール・ジョーダン
- 製作/スティーヴン・ウーリー
- 製作総指揮/ニック・パウエル
- 脚本/ニール・ジョーダン
- 撮影/イアン・ウィルソン
- 音楽/アン・ダッドリー
- スティーヴン・レイ
- ミランダ・リチャードソン
- フォレスト・ウィッテカー
- エイドリアン・ダンバー
- ジェイ・デヴィッドソン
- ブレッフィニ・マッケンナ
- ジム・ブロードベント
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