「この作品は大勢の観客にむけて作られたにもかかわらず、大観客に受け入れられずに呪われたカルト・ムービーになってしまった」
ベルナルド・ベルトリッチ監督自身の言葉を引用するまでもなく、大規模なスケール、破格の製作費、豪華なキャスティングと、映画史上で稀にみる超大作となった『1900年』は、五時間を超える上映時間が隘路となって興行上の問題が生じ、映画館での上映のメドがたたなくなってしまった。
記録的な興行的惨敗を喫し、ビデオで発売されることもなく長い間お蔵入りに。まさに幻のカルト・ムービーとなってしまった訳だが、映画的充実度は著しく高い、映画ファンならマスト・ウォッチ・ムービーであることは間違いない。
舞台は、20世紀初頭の北イタリア。言わずもがな、イタリアは西欧圏の中では共産主義の影響を多大に受けて近代国家になるのが遅れた国。
この映画でもマルキシズムとブルジョワジーは相反する存在ではなく、微妙なバランスの上で両立している。自ら共産主義の影響を受けたと言明しているベルトリッチは、そんなブルジョワ階級のドラッグによる退廃を独特の美意識で描いてみせる。
「ジュゼッペ・ベルディが死んだ」という悲痛な叫びで始まるこの物語は、まさに音楽という要素を抜きにしては語れない映画だ。
この場合の音楽とは「美味しいものを食べ、歌を唄って人生を謳歌する」というイタリア人特有のお気楽な発想ではなく、物語自体が音楽と豊かに融合するオペラ的発想のこと。人生の喜怒哀楽は歌によって表現され、人生を肯定していくエネルギーとなる。
ファシズムに抵抗して農民たちが歌う口笛の歌、耕作の歌、彼等の想いはオペラ的手法によって表現される。音楽、ひいては「音」のもつ豊かさと力強さみたいなものを感じずにはいられない。
もちろん音楽映画界のマストロ、エンニオ・モリコーネによる素晴らしい主題曲も忘れがたい。当然、僕もモリコーネ・マニアとしてサントラを即購入。
それにしても、ヴィットリオ・ストラーロによる素晴らしい映像はどうだろう。悠然とした美しい四季をミレーの絵画のような繊細さをもって再現してみせる。
ワンショット、ワンショットが額縁に飾っておきたい程の美しさ。特に田園風景の素晴らしさは白眉である。僕はこれ程あたたかで、包み込むような美しさを持った映像を知らない。
後年の『ラストエンペラー』でもそうだったが、ベルトリッチは歴史に翻弄される人間の運命をスクリーンに描き出す。
主人公に感情移入することもなく、突き放すこともなく、ベルトリッチの映画における人間たちはスペキュレイティヴ・オペラを形成するファクターのひとつにしかすぎない。
キューブリックのようなシニカルな神の視点でもなく、ヒッチコックのようなアイロニカルな視点でもない。その存在は森や湖、そこに生息する動物たちと同列なのだ。
ファシズムが到来し、時代が移り変わっていく様をゆったりとしたペースで描き出す『1900年』の真の主役は、歴史そのものである。
僕は五時間という上映時間は決して長いとは思わない。このリズムがきっと歴史そのもののリズムなのだ。僕らはそのリズムに呼吸を合わせ、北イタリアの美しい自然に身を投じていこう。
- 原題/Novecento
- 製作年/1976年
- 製作国/イタリア、フランス、西ドイツ
- 上映時間/316分
- 監督/ベルナルド・ベルトルッチ
- 製作/アルベルト・グリマルディ
- 脚本/フランコ・アルカッリ、ジュゼッペ・ベルトルッチ、ベルナルド・ベルトルッチ
- 撮影/ヴィットリオ・ストラーロ
- 音楽/エンニオ・モリコーネ
- 美術/エジオ・フリジェリオ
- ロバート・デ・ニーロ
- ジェラール・ドパルデュー
- ドミニク・サンダ
- バート・ランカスター
- キーファー・サザーランド
- スターリング・ヘイドン
- ラウラ・ベッティ
- ステファニア・サンドレッリ
- フランチェスカ・ベルティーニ
- ステファニア・カッシーニ
- ウェルナー・ブランズ
- ロモロ・ヴァリ
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