『1900年』(1976年/ベルナルド・ベルトルッチ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『1900年』(原題:Novecento/1976年)は、20世紀前半の北イタリアを舞台に、ファシズムの台頭と激動の階級闘争を描いた壮大な歴史叙事詩。同じ日に生まれた地主の息子アルフレード(ロバート・デ・ニーロ)と小作農の息子オルモ(ジェラール・ドパルデュー)は、対照的な宿命を背負いながら歴史という濁流に呑み込まれていく。巨匠ベルナルド・ベルトルッチがハリウッド資本を注ぎ込み、5時間17分という常軌を逸したスケールで「歴史」そのものを主役に据えた。
呪われた超大作──歴史という名の巨大な主役
この作品は大勢の観客にむけて作られたにもかかわらず、大観客に受け入れられずに呪われたカルト・ムービーになってしまった
ベルナルド・ベルトルッチ本人の自嘲を引くまでもなく、莫大な製作費、世界的スターの豪華共演、そして前後編合わせて5時間17分という常軌を逸した上映時間が災いし、公開当時の『1900年』(1976年)は「呪われたカルト・ムービー」の烙印を押されてしまった。
しかし、なぜこれほどまでに規格外の怪作が誕生し得たのか。その背景には、前作『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年)が巻き起こした世界的スキャンダルがある。
過激な性描写によって、世界各国で検閲や上映禁止の嵐(イタリアではフィルムの焼却命令まで出たほどだ!)を巻き起こす一方で、皮肉にもそれが最大の宣伝となり、製作費の何十倍もの興行収入を叩き出すメガヒットを記録した。
前代未聞のセンセーションにより、当時30代前半だったベルトルッチは、一躍世界で最も危険で、最も金を生み出す若き天才と見なされることになる。
パラマウント、20世紀フォックス、ユナイテッド・アーティスツというアメリカの巨大スタジオは、こぞってこの若き巨匠の次回作に群がり、彼に事実上の白紙小切手を差し出したのだ。
だが、ベルトルッチの回答はあまりにも狂気じみていた。彼はアメリカの巨大資本をふんだんに注ぎ込み、あろうことか真正面からマルクス主義的な階級闘争と農民たちの連帯を描き出したのである。
冷戦下の1970年代に、資本主義の総本山から資金を調達し、反資本主義の巨大な叙事詩を撮り上げる。これは映画史においても二度と起こり得ない、痛快極まりないテロルだった。
『1900年』が彼のキャリアの頂点であることは疑いようがない。初期の傑作『革命前夜』(1964年)や『暗殺の森』(1970年)で執拗に追求した「政治的リアリズムと個人の運命」という重厚なテーマは本作で極大化し、途方もないスケールの映像美、音楽、そして物語と完璧に融合している。
舞台は北イタリアのエミリア・ロマーニャ地方。20世紀の幕開けからファシズムの狂気が覆う戦争期、そして解放の日までを、まるで神のような俯瞰的視点で描き出す。
ブルジョワ階級に生まれたアルフレード(ロバート・デ・ニーロ)と、同じ日に生まれた農民のオルモ(ジェラール・ドパルデュー)。対照的な二人を歴史という抗えない激流に放り込むことで、この壮大な大河ドラマは誕生した。
ブルジョワ階級が退廃と享楽の泥沼に沈んでいく一方で、農民や労働者たちは文字通り泥にまみれ、生存と抵抗のために強靭な連帯を保ち続ける。
彼らは残酷な時代のうねりに翻弄され、血を流し、性を貪る、生身の人間としてスクリーンの中で生々しく躍動しているのだ。
パゾリーニの血脈と、オペラとして鳴り響く歴史
本作の思想的背景を語る上で、ベルトルッチの師・ピエル・パオロ・パゾリーニからの影響は絶対に見逃せない。
ベルトルッチ自身が裕福なブルジョワ出身であるという、生涯消えることのないコンプレックス。それゆえに彼は、最下層の農民や労働者の生々しい生活から社会の欺瞞を暴き、民衆文化を批評的武器としたパゾリーニの眼差しを我がものにしようとした。
全編にみなぎる豚の屠殺、土や糞尿にまみれた農民の日常、猥雑で熱気あふれる収穫祭のエネルギーには、その土着的な精神が色濃く受け継がれている。
特に、ファシズムの暴力に抗して農民たちが大合唱する場面は、民衆の連帯と抵抗の象徴。まさにパゾリーニ的民衆描写の正統進化であると同時に、ベルトルッチなりの「農民の魂への贖罪と接近」の儀式だったと言えるだろう。
この長大な歴史絵巻を一本の太い線で貫くのが、音楽だ。冒頭、一人の男が「ジュゼッペ・ヴェルディが死んだ!」と泣き叫んで田園を駆ける場面が示す通り、本作はイタリア・オペラの巨星ヴェルディの精神的基盤の上に構築されている。ヴェルディは単なる音楽家ではなく、イタリア統一運動の精神的支柱であり、民衆の解放を象徴する存在なのだ。
農民たちが畑仕事の合間に吹き鳴らす口笛や労働歌は、物語と民衆運動を完全に同期させるオペラ的装置。その一方で、ブルジョワの豪奢なパーティーで流れる華麗な音楽は、彼らの逃避的退廃を浮き彫りにする。
そこに重なるのが、巨匠エンニオ・モリコーネによる雄大なオリジナル・スコアだ。あの叙情的で胸を締め付けるメインテーマは、まるでギリシャ悲劇のコロス(合唱隊)のように、観客の感情をダイレクトに揺さぶり続けるのである。
ストラーロの光と影──体感する5時間の叙事詩
撮影監督ヴィットリオ・ストラーロによる、狂気的映像美も見逃せない。彼は北イタリアの広大な田園風景を単なる背景としてではなく、四季折々の巨大な絵画としてスクリーンに焼き付けた。
そこにベルトルッチ特有の、流麗かつダイナミックなクレーン撮影と執拗な長回しが結合することで、静的な風景画は生々しく脈打つ群衆のスペクタクルへと変貌を遂げている。
少年期の【春】、麦畑に差し込む柔らかな光は瑞々しい生命の萌芽を。青年期の【夏】、収穫場面の強烈な太陽と濃い影は労働の重みと社会的緊張を。ファシズムが台頭する【秋】の落葉や深い霧は、残酷な時代の移ろいを。そして【冬】、凍てつく川辺の風景は容赦ない政治的抑圧と死を見事に象徴している。
ドナルド・サザーランド演じる黒シャツ隊のアッティラと、ラウラ・ベッティ演じるその妻レジーナの存在も特筆モノ。二人が体現する暴力とサディズムは、ほとんどグラン・ギニョールと呼べるほどにグロテスクだ。
ベルトルッチは政治的な巨悪をあえて「生理的な嫌悪感を催す狂人」として造形し、彼らの蛮行を極めて演劇的かつサディスティックな構図でカメラに収めた。
白銀の雪景色や荘厳な石造りの建築というストラーロの冷徹な冬の風景の中に、黒シャツ隊の異様な黒と、生々しい血の赤を配置する色彩設計。これによって、歴史の暴力性が文字通りスクリーンから網膜へと直接突き刺さる仕掛けになっている。
ここには、スタンリー・キューブリックのような冷酷な俯瞰も、アルフレッド・ヒッチコックのような皮肉も存在しない。観客はただ、カメラが地を這い、宙を舞いながら切り取る大自然と四季のリズムに自らの呼吸を合わせ、登場人物とともに歴史の暴力を「同時に体感する」ことを強いられるのだ。
5時間超という規格外の上映時間は、決して監督の自己満足ではない。それは観客の肉体に、歴史のうねりそのものを物理的に体感させるための、巨大な装置なのだ。
個人と歴史、政治と文化、泥臭い労働と優雅なオペラ。それらが唯物史観的なタペストリーとして、圧倒的なキャメラワークのもと有機的かつ暴力的に結びついた本作は、映画史に永遠に刻まれるべき大傑作である!
- 監督/ベルナルド・ベルトルッチ
- 脚本/フランコ・アルカッリ、ジュゼッペ・ベルトルッチ、ベルナルド・ベルトルッチ
- 製作/アルベルト・グリマルディ
- 撮影/ヴィットリオ・ストラーロ
- 音楽/エンニオ・モリコーネ
- 編集/フランコ・アルカッリ
- 美術/エジオ・フリジェリオ
- 衣装/ジット・マグリーニ
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