元ピチカート・ ファイヴ小西康陽氏の強力プッシュにより、今やオサレムービーとして揺るがない地位を築いている『黒い十人の女』。
巷では「スタイリッシュで超クール!」だとか、「シャープでグラフィックでダンディ!」だとか、「アヴァン・ポップなノワール感覚!」だとか、市川崑の絢爛たるビジュアル・ワークを絶賛する声が絶えないようである。
確かに人物の右隅・左隅にあえて余白をつける構図のセンスなんぞ、渋谷系周辺の方々が泣いて喜びそうなくらいカッコいい。
しかし何といっても、この映画は船越英二である。エージ・フナコシの演技を絶賛すべき映画である。『暴れん坊将軍 』で松平健に優しい眼差しを向けていた好々爺は、世を忍ぶ仮の姿。ポリデントのCMで孫に「お爺ちゃん、お口臭~い」と言われるのも、かりそめの姿だ。
『黒い十人の女』で彼が演じるのは、飄々としていてどこか憎めず、山本富士子を本妻に持ちながら次から次へ妾を囲うというプレイボーイ。どこか人を食ったようなキャラクター造形が、ハマりすぎるほどにハマっている。
船越英二の役柄がテレビ局のプロデューサーというのも興味深い。時代背景となる60年代初頭といえば、カラーテレビの本放送が開始され、広告スポットの売り上げが月間1億円を突破するなど、当時の高度経済成長を象徴するような花形職業であった。
だがこの映画で描かれる彼の仕事の実態は、カツ弁を食べながらクレイジーキャッツの番組進行をボヤッと眺めてたり、屋上で夜風に当たりながら女の子に声をかけるような、「プロデューサーという役割を演じることだけに充足している男」なのだ。
すなわち彼には実体がない。実体がないから、女たちに社会性を剥奪されてしまった途端、去勢されたかのごとく“男”としての魅力を削がれてしまう。
女たちの哀願動物に成り下がり、「社会に復帰したい」と泣き叫ぶ。僕なんかにしてみりゃ、女性に生活費を払ってもらって悠々自適な生活が送れるなら最高じゃん!と思ってしまうのだが、少なくとも当時の日本において古風な男性原理は残っていたのだ。
社会的なテーマを扱いながらも、砂漠で十人の女が船越英二を取り囲むシーン、事故で炎上する自動車に岸恵子が一瞥もくれず車で走り去るシーンなど、ミケランジェロ・アントニオーニにも通じるモンド感も満載。ソリッドな観念的描写がクールです。
でもやっぱサイコーなのは、山本富士子でしょう。「~でざぁす」という言葉遣いにシビれたざぁす!
- 製作年/1961年
- 製作国/日本
- 上映時間/103分
- 監督/市川崑
- 製作/永田雅一
- 企画/藤井浩明
- 脚本/和田夏十
- 撮影/小林節雄
- 音楽/芥川也寸志
- 編集/中静達治
- 美術/下河原友雄
- 特技撮影/築地米三郎
- 助監督/中村倍也
- 船越英二
- 岸恵子
- 山本富士子
- 宮城まり子
- 中村玉緒
- 岸田今日子
- 宇野良子
- 村井千恵子
- 有明マスミ
- 紺野ユカ
- 倉田マユミ
- 森山加代子
- 永井智雄
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