「ひどい變態ものである。私の作がエログロといわれ、探偵小説を毒するものと非難されたのは、こういう作があるからだと思う」
原作者、江戸川乱歩の自注自解である。書いた本人がここまで断言するのもスゴイですね。
事実、原作は「ひどい變態もの」なんだが、それを忠実になぞった映画版『盲獣』(1969年)はさらに「ひどい變態もの」。 エログロと一言でいうのは容易いが、『盲獣』のマゾスティックな快楽への追求は、凡百のミステリー映画を凌駕する。極限の快楽はモラルをも乗り越えるのだ。
モデルのアキは、ある日画廊で自分がモデルの彫刻を撫で回す男に遭遇する。彼は実は盲人であり、触覚でしか女性の身体を感じ得ない。異様に研ぎすまされたその「触覚」は最高の女体を探し求め、彫刻のアキに完璧な女体を見い出してエクスタシーにひたる。
これで終わったら単なる変態話だが、すっかり彼女の身体に魅せられた彼は按摩師を装って彼女に近付き、誘拐して実家に連れ去ってしまうのだから、こりゃ完全に犯罪だ。
やがて目を覚ましたアキは、恐ろしい光景を目の当たりにする。男が心血を注いでつくられたアトリエには、女の耳や鼻、唇などあらゆる身体のあらゆる部位が彫られていたのだ。
美術スタッフが「監督は一体ナニを考えているんだろう」といぶかったという異様な空間には、単なるエログロに失墜しない狂乱の美学が貫かれている。これぞ乱歩的な幽玄の世界。それをビジュアルで呼応した増村保造はエライ。
最初は反発しながらも、やがて二人は「究極の快楽」に身をゆだねていくのだが、それは何かというと「触覚でのエクスタシー」である。単純なセックスでは満足を得られなくなってしまった彼等は、お互いの身体を傷つけあって快楽を感じるのだ。
サディスティックな行為にふけり、最終的には身体を切り刻まれながら「楽しい!楽しいわ!ねえ、右腕も切り落として!」などと叫ぶ女の姿はオソロシイの一言である。
屋根裏から他人の生活を覗き見る者、椅子の中に入り込んでその触覚を楽しむ者、乱歩の小説に登場する主人公たちはモラルを逸脱した場所に安住の地を求める。『盲獣』もその系譜を継いだ、実に乱歩的な世界観によって構築された物語だ。
だが彼等は一様に皆悲惨な最期を遂げていく。社会に適応できない人間たちの哀しい末路は、変態的フェティシズムの代償である。
盲獣を演じるのは船越英二。船越英一郎のお父さんである。時代劇なんかではニコニコした好々爺を演じていたが、こんなキレまくった演技も披露していたのかと思うと感慨深い。
極限のエクスタシーにもだえるアキ役の緑魔子の熱演もすごいが、驚いたのは船越英二の母役を演じる千石規子。こんな昔からオバアさん役をやっていたのだ。
杉村春子がすごい昔の小津監督作品でフケ役をやっていたのにも驚いたが、一体千石規子ってトシいくつなんだろう。観終わった後もそれが気になってしょうがない。
- 製作年/1969年
- 製作国/日本
- 上映時間/84分
- 監督/増村保造
- 原作/江戸川乱歩
- 脚本/白坂依志夫
- 撮影/小林節雄
- 音楽/林光
- 美術/間野重雄
- 編集/中静達治
- 録音/須田武雄
- 船越英二
- 緑魔子
- 千石規子
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