プログレ魂炸裂。ヴィンセント・ギャロが救済されるまでを描く純度の高いラブストーリー
ビリー・ブラウンは、どーしようもないダメ男だ。虚勢を張って威張りちらすものの、実際は小心者のチキン野郎。人生ひとつもうまくいかず、あげくの果てには、無実の罪でムショに5年間収監される始末。
プログレ系のBGM、色褪せた色彩、アメリカ映画というよりはヨーロッパの色合いが強い『バッファロー’66』(1998年)は、一瞬インディペンデント系のオフビート・ムービーかと思わせて、ストーリーは意外にもロマンチック。
ヴィンセント・ギャロが仕掛けたのは、厚顔無恥なダメ男が母性によって救済される純度の高いラブストーリーだ。
「俺に触るな」
「俺をじろじろ見るな」
「握手で我慢しろ」
彼の口から飛び出す言葉は、他人を拒絶しながらも救済を求める哀願である。ホラ、小学生の頃って好きな女のコに「お前なんかキライだ」とか言ってよく泣かしたでしょ。アレと一緒だ(小学生クラスの偏差値の低いマインドである!)。しかしこの男が一瞬だけ、本心を吐露をする場面がある。
「生きられない…」
この言葉を発して以降、ビリー・ブラウンは少しずつひねくれた心をほぐしていく。虚勢を張るのを止め、真実と向き合うようになる。
レイラがビリーに好意を持つようになる過程も曖昧だし、ビリーが元フットボール選手の命を狙う心理描写も上手くない。ストーリーテリングには疑問だらけだが、この際そんなことはどーでもいいのである。
ヴィンセント・ギャロの半自伝的映画でもあるこの作品は、自らのダメっぷりを映画に投影した。そして世の女性達の母性に訴えかけた。うらやましいな、このヤロー!!
ウィアードでストレンジな表象で塗りたくられた映画ではあるが、実は『バッファロー’66』は最高のプライベートフィルム。キャッチコピーの「最悪の俺に、とびっきりの天使がやってきた」レイラを体現するのは、クリスティーナ・リッチ。
ちょっと太めな体躯とベビーフェイスから発散されるオーラは、かつてのドリュー・バリモアを思わせる。まさに、現代のジェネレーションX。弱そうなオツムにたっぷりの母性を詰め込んで、現代のマリア様を演じている。
息子よりフットボールに夢中な母親のアンジェリカ・ヒューストン、息子以上に短気で野方図な親父のベン・ギャザラもいい味だが、ちょっとしたサプライズだったのが、チンピラ役のミッキー・ローク。いやいやお懐かしい…もうボクシングでネコパンチはやらないの?
ヴィンセント・ギャロのディレクションは、遊び心に満ちていていいカンジ。ビリーの親父がシナトラの歌を唄い出すと、突然照明が変わってショーアップされたり、ピストルを撃った瞬間がストップモーションになって、飛び出す血液が凝固してたり、ボーリング場でクリスティーナ・リッチ嬢が、突然タップダンスを始めたり。
作劇的にあまり上手いとはいえないストーリーを、プログレ魂炸裂で演出するヴィンセント・ギャロは、クエンティン・タランティーノ、デヴィッド・フィンチャーといったオルタネイティヴ・クリエイターの後発組として評価すべきだろう。
ビリー・ブラウンは本当にダメな男だ。しかし、そんな男にも天使は舞い降りる。人生なんてモンは、一人の女性に愛されるだけで幸せになれるのだ。
- 原題/Buffalo’66
- 製作年/1998年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/118分
- 監督/ヴィンセント・ギャロ
- 脚本/ヴィンセント・ギャロ、アリソン・バグナル
- 音楽/ヴィンセント・ギャロ
- 製作/クリス・ハンリー
- 製作/クリス・ハンレー
- 撮影/ランス・アコード
- 美術/ギデオン・ポンテ
- 編集/カーティス・クレイトン
- ヴィンセント・ギャロ
- クリスティーナ・リッチ
- アンジェリカ・ヒューストン
- ベン・ギャザラ
- ロザンナ・アークェット
- ミッキー・ローク
- ジャン・マイケル・ヴィンセント
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