思春期の姉弟が醸し出す近親相姦的愛情。クール&モダンに貫かれた市川崑フィルム
幸田文の小説を、監督・市川崑、脚本・水木洋子、撮影・宮川一夫の最強トリオが映画化した『おとうと』(1960年)。
しっかり者の姉のげん(岸恵子)と、フダ付きの不良として煙たがられている弟の碧郎(川口浩)の姉弟愛を、いかにも市川崑らしい、乾いたタッチで描いた代表作である。
個人的には、俳優業よりも『川口浩探検隊シリーズ』の“熱血サバイバル隊長”イメージが強烈なため、川口浩がこんなブータレキャラを演じているというのは、かなり意外でした。
この映画、後半になると肺病を患った川口浩が病床に臥してしまうという、「セカチュー」的展開をみせるのだが、銀残しによるクールな映像美と、市川崑のモダニズム溢れる演出によって、決してベタベタなお涙頂戴モノには流れない。
むしろ、片足の自由が効かず、身も心も宗教に溺れているという物凄い設定の母親(田中絹代)の存在が強力な重石となって、作品に不可思議な緊張感が漂っている。
「お客には一滴の涙も流させるまじ!」という、作り手側の強烈な意思表明か。表情を変えずに、ひたすら神への祈りを捧げ続ける、田中絹代の演技には背筋が凍る!!
思春期の姉弟が醸し出す近親相姦的愛情も、この映画独特の隠し味。禁欲的ムードが高まれば、逆説的にエロさも増す訳で、クールなエロティシズムがビンビン伝わってくる。
リボンをお互いの手首に結び合うシーン(後年、野島伸司のドラマ『高校教師』(1993年)でも引用)なんぞ、肉体的には結ばれ得ない“二人の精神的結合”を暗喩しているんであって、超セクシャルなシーンだと思う。
僕は厳然たる一人っ子なので、美人のお姉ちゃんに人並みならぬ羨望があるんだが、この映画の岸恵子は、チャキチャキ系のお姉さんぶりを嫌みなく演じていて、ベリーナイス。
まあ17歳の女学生という設定は、いくらなんでもムチャすぎると思いますが、凛とした美しさは群を抜いていると思う。
甘えたような顔でスネまくる放蕩息子の川口浩は、同性から見るとひたすらダラしないダメ男なんだが、おそらく弟萌えのショタコン腐女子には、たまらない魅力を放っているんだろう。
あと『おとうと』を語るにあたっては、天才カメラマン宮川一夫が発明した現像手法「銀残し」に触れない訳にはいくまい。
そもそもの発端は、市川崑が大正時代の雰囲気を蘇らせるため、コントラストの強い、脱色したかのようなカラー映像が作れないかと、宮川一夫に相談したことに始まる。
通常の現像においては、フィルムの発色部分の銀を取り除く作業が発生するのだが、その行程をあえて省くことによって、独特の渋い色調が滲み出るのだ。現在では『セブン』(1995年)や『プライベート・ライアン』(1998年)のハリウッド・メジャーでも使われている、スタンダード・テクニックである。
とまあ『おとうと』は好きな映画なんですが、不満をあえて言えば、川口浩の心情をセリフに頼りすぎているところか。夕日を眺めながらつぶやく
「うっすらと哀しいな。姉さん、俺、そのうっすらと哀しいのがやりきれないんだ。ひどい哀しさのほうがまだいいや」
というセリフは、それ自体切り出すとなかなか秀逸だと思うが、クール&モダンに貫かれた市川フィルムとすれば、これはあくまで役者の芝居によって体現されるべきものでなかったか。
言葉の隅々に感じられるウェットな肌触りが、相対的に映画の魅力を少なからず貶めていると思う。
- 製作年/1960年
- 製作国/日本
- 上映時間/98分
- 監督/市川崑
- 製作/永田雅一
- 企画/藤井浩明
- 原作/幸田文
- 脚本/水木洋子
- 撮影/宮川一夫
- 美術/下河原友雄
- 編集/中静達治
- 音楽/芥川也寸志
- 岸恵子
- 川口浩
- 田中絹代
- 森雅之
- 仲谷昇
- 浜村純
- 岸田今日子
- 土方孝哉
- 夏木章
- 江波杏子
最近のコメント