『ザ・マジックアワー』を観終わったあと僕が感じた正直な感想は、「際どいな」ということだった。
何が際どいかといえば、港町・守加護(すかご)を舞台にした、街を牛耳るギャングのボス、妖艶な魅力な振りまくその愛人、それに手を出した若きホテル支配人という構図が際どい。
要は古き良き時代のギャング・ムービーをトリビュートしたメタ映画的構造になっており、それが『ザ・マジックアワー』の虚構性を保証しているのであるが、三谷幸喜はそれを自らの手で暴こうとしてしまうのだ。
オープンセットのような佇まいの町・守加護は、まさに三谷幸喜が理想とする映画郷であり、彼が安住したいと願う虚構空間である。映画との戯れとは、まさしく虚構との戯れである、と直裁に語りかけているかのごとく。
しかし三谷幸喜は、守加護以外の町並みを何の変哲もないロケ撮影で切り取ることによって、『ザ・マジックアワー』の舞台が、「単なるアミューズメント・パークであることを露呈させてしてしまう。
観客を2時間のあいだフィクショナルな世界に留めておくのではなく、一度「現実」をスクリーンに焼き付けることによって、虚構=現実を対照せしめるのだ。
佐藤浩市演じる売れない役者が、「これは映画ではなく現実である」と認識するのは最後の最後になってからだが、それは「守加護という虚構世界を現実レベルとして受け入れる」=「佐藤浩市自身が虚構世界の住人になる」ということに他ならない。
事実、守加護の住人と化した佐藤浩市は、指から銃弾をぶっ放すという芸当をやってのける。しかし一度「現実」を見せつけられた我々観客は、一歩引いた視点で荒唐無稽なシーンを目撃してしまう危険性がある。
日没後の美しい時間帯であるマジックアワーは、映画に魔術的な効果を付与するが、この作品ではその魔術を自らの手で解いてしまっている。個人的にはこれが非常に際どい。
ここで僕はひとつ予言をしたいと思う。三谷幸喜は遅かれ早かれ、「国」という単位で描かれるスケールの大きな作品を撮ることだろう。
『ラヂオの時間』ではラジオ局のスタジオ、『みんなのいえ』では新居、『THE 有頂天ホテル』では一流ホテルと、三谷幸喜が題材に採上げた舞台は一作ごとに空間的に肥大し続けている。
それは三谷自身が映画というメディアを操れるようになってきた自信にも比例しているんだろうが、井上ひさしの『吉里吉里人』のごとく人工国家を創り上げることが、彼の宿願なんではないか。アミューズメント・パークではなく、アミューズメント・ネーションの創造。
もちろん、それは三谷だけではなく、劇作家なら誰しもが夢見るプロジェクトなのかもしれないが。
- 製作年/2008年
- 製作国/日本
- 上映時間/136分
- 監督/三谷幸喜
- 脚本/三谷幸喜
- 企画/清水賢治、市川南
- エグゼクティブプロデューサー/石原隆
- プロデューサー/重岡由美子、前田久閑、和田倉和利
- ラインプロデューサー/森賢正
- 音楽/荻野清子
- 撮影/山本英夫
- 編集/上野聡一
- 佐藤浩市
- 妻夫木聡
- 深津絵里
- 綾瀬はるか
- 西田敏行
- 戸田恵子
- 寺島進
- 小日向文世
- 伊吹吾郎
- 浅野和之
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