カトリーヌ・ドヌーヴを招いてトリュフォーが描く、『金曜日の妻たちへ』的不倫劇
『終電車』(1981年)のキャッチコピーを拝見するに、「大人の愛の本質を描いた傑作」とか、「大人の恋愛劇の決定版」だとか、妙にオトナであることを強調している気がするんだが、オトナの恋とは一体何ぞや?『金曜日の妻たちへ』みたいな不倫モノということか?
だとすれば、ナチス占領下のパリを舞台に、ユダヤ人演出家の夫と新進気鋭の俳優の狭間で、激しく揺れ動く美しい人妻…という設定はバッチリだ。
「夫がいる身でありながら…」という『金妻』的常套句が、「地下室で隠遁生活を送るユダヤ人夫をかくまう身でありながら…」という大時代的なモチーフに変奏されただけで、確かに基本フォーマットは王道の不倫モノなんである。
しかし単なる不倫モノでは、カトリーヌ・ドヌーヴという大女優のデカダンな魅力が損なわれてしまう。ドヌーヴはまさに“女優”という記号的な存在なのであって、『金妻』みたいな専業主婦役なんぞもってのほか。匂い立つような妖艶さと、したたかなタフネスを併せ持った彼女には、一人で劇団を切り盛りする美しき女座長がよく似合う。
トリュフォーは、1969年に製作された『暗くなるまでこの恋を』でもドヌーヴを起用しているが、彼女の魅力を生かしきれなかったという思いがあったらしく、いわば『終電車』はその雪辱戦。
少しばかりトウの過ぎた大女優を、しかしトリュフォーはこれでもかというくらい艶かしく撮っている。実はこの2人、昔は同棲生活を送っていた恋人同士だったりもするので、違った意味での雪辱戦になっているのかもしれないが。
それにしても物語の3/4くらいまでは、「ユダヤ人夫をかくまう気丈夫な賢妻」だったはずのドヌーヴが、実はベルナール(ジェラール・ドパルデュー)への秘そかな恋情を抱いていたという展開は、観ている我々観客もびっくり仰天。
レジスタンスの闘士でもあるベルナールへの恋は、時代的状況もあって秘匿すべき感情だったのだろうが、夫や演劇を捨ててまでベルナールに走るというドラマティックな高揚感をフィルムに焼き付けるとするならば、物語は常にマリオンの視点で描かれるべきではなかったか。
ベルナールとルカが、警察による不意打ちの捜索により地下室で初めて顔を合わせるという、実に映画的な構図が存在するにもかかわらず、二人の関係が恋敵同士であるという伏線がないために緊張感は生成されず、
我々は「妻は君に夢中だ」というルカのセリフによって、初めて事態を確認する。マリオンの秘めた感情が、本当に映画的にも秘められているものだから、恋愛映画としてドラマティックというよりは、サプライズな作品に仕上がっているのだ。それがまあオトナってものかもしれませんが。
だからラストシーンで、マリオンがルカとベルナールの手を取ってカーテンコールに登場するシーンは、マリオンの高らかな勝利宣言のようにも見えてしまうんである。
- 原題/Le Dernier Metro
- 製作年/1981年
- 製作国/フランス
- 上映時間/131分
- 監督/フランソワ・トリュフォー
- 脚本/フランソワ・トリュフォー
- 撮影/ネストール・アルメンドロス
- 音楽/ジョルジュ・ドルリュー
- 美術/ジャン・ピエール・コユ・スヴェルコ
- 編集/マルティーヌ・バラーク、マリー・エーメ・デブリル
- カトリーヌ・ドヌーヴ
- ジェラール・ドパルデュー
- ジャン・ポワレ
- ハインツ・ベネント
- アンドレア・フェレオル
- サビーヌ・オードパン
- ジャン・ルイ・リシャール
- モーリス・リッシュ
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