恋愛の臨界点を“光”で表現した、クラシカルなメロドラマ
男と女が、“恋愛の臨界点”に達する瞬間に必要な映画的ファクターとは何ぞや。
R指定の激しいベッドシーン?恍惚とした表情のアップ?観客をもウットリとさせる甘いささやき?否。フランソワ・トリュフォーが『隣の女』(1981年)で実践しているのはそのどれでもなく、映画の原初的要素である「光」だ。
この映画においてジェラール・ドパルデューとファニー・アルダンは、実に様々な光のなかで激しく抱き合う。室内灯がぼんやりと光る薄暗い駐車場、光が燦々と降り注ぐオープンカー、西日が差し込んでいる陰鬱としたアパートメントの室内。
運命のいたずらで8年前に別れた恋人が再び出会い、お互い家庭がありながら恋の炎が再燃してしまうという、古典的すぎる恋愛悲劇。冒頭でマダム・ジェーヴが観客に語りかけるという構成はトリッキーながら、トリュフォーの語りはあくまでクラシカルだ。
カメラの真ん中に被写体を据えて、横パンで動きをフォローしつつ、ステーブルな構図で物語を綴っていく。お互いの恋愛感情の高ぶりを、役者のハイテンションな演技や激しいカメラワークで見せるのではなく、オーソドックスな語り口のなかに「光」という要素を入念に入れ込むことによって、上質な手触りのフィルムに仕上げている。
イタリア人的な陽性の輝きを放つファニー・アルダンが、この映画で最もその美しさを芳香させる瞬間が、病院の一室で寂しくジェラール・ドパルデューに微笑みかける、陰性の魅力に満ちたショットであることに我々は刮目すべきだ。
窓から差し込む薄暗い光が、すでに物語は悲劇に向かっていることを暗示している。だが同時に、悲劇に向かいつつあるオンナの横顔ほど凛として美しい表情もないのだ。
二人の情熱のあいだに光が差し込まなくなったとき、この物語は終焉を迎える。月光だけが部屋をかすかに照らすファニー・アルダンの家で、二人は激しい性交渉に及び、女は隠し持っていた拳銃に手を伸ばす…。
『隣の女』というフィルムが有しているクラシカルな佇まいは、光と影の陰影深いコントラストによって導かれる。
【補足】
シネフィルのトリュフォーらしく、『隣の女』では様々な映画的引用に満ちている。
- エリック・ロメール『飛行士の妻』…マチルドの夫の職業が航空管制官という設定
- トッド・ブラウニング『知られぬ人』…愛する女性のために自分の腕を切り落とした男の話
- マイケル・カーティス『歩く死骸』…ドパルデューが妻と一緒に映画館で観たサスペンス映画
- ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』…ファニー・アルダンのドレスが椅子に引っかかった為に、下着姿になってしまうシーン
- 原題/La Femme d’a` co^te´
- 製作年/1981年
- 製作国/フランス
- 上映時間/107分
- 監督/フランソワ・トリュフォー
- 原案/フランソワ・トリュフォー、シュザンヌ・シフマン、ジャン・オーレル
- 脚本/フランソワ・トリュフォー、シュザンヌ・シフマン、ジャン・オーレル
- 撮影/ウィリアム・ルプシャンスキー
- 音楽/ジョルジュ・ドルリュー
- 美術/ジャン・ピエール・コユ・スヴェルコ
- 編集/マルティーヌ・バラーク
- 録音/ミシェル・ローラン
- 製作進行/アルマン・バルボール
- ジェラール・ドパルデュー
- ファニー・アルダン
- アンリ・ガルサン
- ミシェール・ボームガルトネル
- ヴェロニク・シルヴェル
- オリヴィエ・ベッカール
- ヴァン・オール
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