『トレインスポッティング』(1996年/ダニー・ボイル)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『トレインスポッティング』(原題:Trainspotting/1996年)は、ダニー・ボイル監督、ジョン・ホッジ脚本によるイギリス映画で、ユアン・マクレガー、ロバート・カーライル、ユエン・ブレムナーらが出演。エディンバラの下層社会でヘロインに溺れる若者たちが、退屈と虚無を抱えながらも“生”を模索する姿を描く。薬物、暴力、友情が交錯する中、彼らは希望と絶望の境界で走り続ける。カンヌ国際映画祭に出品され、90年代英国映画を象徴する一作となった。
アメリカン・ニュー・シネマの死と「Choose Life」の虚無
1990年代を象徴する作品といえば、ダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』(1996年)をおいて他にない!
1960年代末、アメリカン・ニュー・シネマはベトナム戦争の炎の中で燃え上がり、体制への反逆と自由への渇望をスクリーンに刻みつけた。
だが、時代が90年代に突入すると、そんな崇高な理念はとうの昔に化石となり果てていた。かつてのヒッピーたちが夢見た愛と平和のユートピアは跡形もなく消え去り、後に残されたのは、何も信じないし何も期待しないという、若者たちの無為と快楽だけである。
彼らにとってドラッグは、世界を変えるための政治的ツールでも、意識を拡張する宗教的儀式でもない。クソッタレで退屈な日常をやり過ごすための、単なる潤滑剤にすぎないのだ。
アーヴィン・ウェルシュの同名カルト小説を映像化した本作は、まさにその革命の亡霊を引きずることすら放棄した、冷め切った新世代の息吹を完璧に体現している。
主人公のマーク・レントン(ユアン・マクレガー)は、常に何かから猛ダッシュで逃げ続けている。スコットランド警察から、狂暴な友人から、そして何より自分自身の空虚な人生から。
彼の眼差しには、前時代の若者が持っていたような希望もなければ、悲壮な絶望すら存在しない。あるのはただ、システムに組み込まれることを拒絶する冷笑と虚無だけだ。
イントロで、イギー・ポップの「Lust for Life」の爆音ビートに乗せてレントンがまくし立てる「Choose life(人生を選べ)」というモノローグ。大型テレビ、洗濯機、コンパクトカー、健康診断、DIY、クイズ番組。
資本主義が提示する真っ当な人生のカタログを羅列し、最後に「俺は人生を選ばない。理由は無い。ヘロインがあるからだ」と吐き捨てる。これは反抗のスローガンなどではない。生きることの無意味さを全肯定する、究極の虚脱のポエムである!
ユアン・マクレガーは、このジャンキー役を演じるために過酷なダイエットを敢行し、病的に痩せ細った肉体を作り上げた。だが、彼の芝居は少しも重苦しくない。驚くほどポップで軽やかで、ポップスターのように画面を跳ね回る。彼は生きることに疲れ、死ぬことにも飽きている。その倦怠のエネルギーこそが、この映画の強烈な推進力なのだ。
アル中で狂暴極まりないベグビー(ロバート・カーライル)の暴力も、気のいいスパッド(ユエン・ブレムナー)の無垢な愚かさも、シック・ボーイ(ジョニー・リー・ミラー)の歪んだ映画愛も、すべてはこの虚無の磁場に飲み込まれ、揃って同じ泥沼へと墜ちていく。
Life is Fuck!!
幻覚と現実のモンタージュ
ダニー・ボイルは製作にあたって、「ドラッグ映画版の『スター・ウォーズ』を作る!」と宣言したという。つまり、観客の倫理観を吹き飛ばすほどの圧倒的なエンターテインメント性とスピード感を目指したのだ。
予算わずか150万ポンド、撮影日数はたったの35日間。エディンバラが舞台でありながら、予算削減のために大半のシーンをグラスゴーの廃工場などでゲリラ的に撮影したというこの強行軍が、結果として映画にヒリヒリとした焦燥感をもたらしている。
ヘロインが血管を猛烈な勢いで駆け巡るように、映像はひたすら疾走する。撮影監督ブライアン・トゥファノの躍動するカメラワークと、編集のジョン・ハリスによるカッティングは、観客の心拍数を直接コントロールする。幻覚、倒錯、逃走、墜落。映像が次第に論理的な肉体を失い、音とリズムだけが現実を支配していく。
『トレインスポッティング』の編集は、ドラッグによる快楽の持続時間と同じく極めて短く、断続的だ。映像と音楽が完全に一体化する瞬間、映画は物語であることをやめ、1時間33分のトリップ(幻覚体験)へと変貌する!
その最たる例が、もはや映画史の伝説となった「スコットランドで最も汚いトイレ」のシークエンスである。落としてしまったアヘン坐薬を拾うため、レントンが排泄物まみれの便器の中に身を投じ、そのまま透き通った青い海へと潜っていくあのシュールレアリスム!
ちなみにあの汚物はチョコレートと匂いの良いシロップで作られていたというが、観客の脳裏に焼き付くのはその圧倒的な「不潔さと美しさの同居」である。
さらに中盤、ヘロインのオーバードーズで病院に運ばれるシーン。ルー・リードの「Perfect Day」の美しい調べに乗せて、レントンが真っ赤なカーペットに沈み込み、棺桶のような視点から自分を運ぶ人々を見上げる。
ボイルは映画のフィルムそのものを“感覚の薬物”として設計した。観客は安全な座席にいながらにして、彼らと共に極限までハイになり、そして最悪のバッドトリップへと叩き落とされるのだ。
Life is Fuck!!
90年代UKカルチャーのレクイエムと
そして、この映画を時代の文化史へと押し上げている最大のポイントが、サウンドトラックの奇跡的な完成度である。ブライアン・イーノ、ニュー・オーダー、プライマル・スクリーム、パルプ、ブラー、ルー・リード。
クール・ブリタニアと呼ばれた90年代のUKロック/クラブカルチャーの豊穣を象徴するアーティストたちが一堂に会し、劇伴の枠を超えて物語そのものを駆動するエンジンとして鳴り響いている。
『Lust for Life』(1977年) (イギー・ポップ)
『Deep Blue Day』(1983年) (ブライアン・イーノ)
『Trainspotting』(1996年) (プライマル・スクリーム)
『Atomic』(1996年) (スリーパー)
『Temptation』(1982年) (ニュー・オーダー)
『Nightclubbing』(1977年) (イギー・ポップ)
『Sing』(1991年) (ブラー)
『Perfect Day』(1972年) (ルー・リード)
『Mile End』(1995年) (パルプ)
『For What You Dream Of』(1993年) (ベドロック・フィーチャリングKYO)
『2:1』(1995年) (エラスティカ)
『Born Slippy』(1995年) (アンダーワールド)
『Closet Romantic』(1996年) (デーモン・アルバーン)
これらの楽曲は、若者たちの無軌道なエネルギーと完璧にシンクロしている。ヘロインの快感も、禁断症状の地獄も、裏切りの痛みも、もはや音によってしか表現できない。
本作は、映像の中でUKミュージックが確かな肉体を得た瞬間の記録であり、同時に、享楽に溺れた一つの時代の終焉を告げるレクイエムでもあるのだ。
クライマックス、麻薬取引で得た大金を仲間から盗み出し、ロンドンの街を歩き去るレントンの姿に、アンダーワールドの「Born Slippy (Nuxx)」のハンマーで殴られるようなシンセサイザーの和音が炸裂する。疾走するビートの中で繰り返されるのは、ただ一つのフレーズ──Life is Fuck。
だが、レントンの最後のモノローグを聞いてほしい。「俺は変わる。これからは真っ当な人生を選ぶ」。彼はかつて否定した「大型テレビや洗濯機」のある消費社会の側へと、裏切りの金を手についに足を踏み入れるのだ。
果たしてこれがハッピーエンドなのだろうか? いや違う。彼はヘロインという依存先から、資本主義という別の依存先へと乗り換えたに過ぎない。ボイル監督はこの矛盾を一切隠さない。映画は彼の逃亡を肯定しながら、その本質的な救済を同時に疑っているのだ。
クソッタレな世界を笑い飛ばすために作り出された、音の映画。ヘロインも暴力も、すべては巨大な退屈に抗うためのリズムにすぎなかった。選べない、変われない、止まれない。それでも、僕らはこの最悪で最高なビートに乗って走り続けるしかない。
Life is Fuck!!
- 監督/ダニー・ボイル
- 脚本/ジョン・ホッジ
- 製作/アンドリュー・マクドナルド
- 制作会社/チャンネル4フィルムズ、フィグメント・フィルムズ、ザ・ポリグラム・エンターテインメント
- 原作/アーヴィン・ウェルシュ
- 撮影/ブライアン・テファノ
- 編集/マサヒロ・ヒラクボ
- 美術/ケリー・マクリーニー
- 衣装/ウェンディ・ステイツ
- 録音/ブライアン・シモンズ
- スラムドッグ$ミリオネア
- トレインスポッティング(1996年/イギリス)
- ザ・ビーチ(2000年/アメリカ、イギリス)
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